共同通信社の勤務から作家となった辺見庸の作品を、ぼくは大学時代に、よく読んだ。
きっかけとなった本は『もの食う人びと』(1994年)であった。
通信社では北京特派員やハノイ支局長をつとめ、「現実を直視」してきた辺見庸が、バングラディシュや旧ユーゴやソマリアやチェルノブイリなどで、人びとは今何を食べて、何を考えているかを探っていったノンフィクションである。
辺見庸の文章は現実を直視しながら地に足をつけ、言葉のリアリティを求めている。
当時アジアなどを旅していたぼくに響く文体であった。
1998年頃だったか、ぼくは東京で、辺見庸の講演を聞きにいく機会を得た。
彼は、小さな大学ノートをひらき、壇上でそれを見ながら、言葉をさぐりあてるように語っていた。
その姿に触発され、ぼくも大学ノートを買い、日々や本のメモを手で書くようになったことを覚えている。
大学を卒業したぼくが世界を飛び回っている間に、辺見庸は身体を幾度となく病み、故郷の宮城県石巻は震災にのまれた。
そんな辺見庸の作品を、また少しづつ読んでいる。
ぼくが世界に出ているこの15年間ほどの間、辺見庸は何を考えてきたのか。
『水の透視画法』(集英社文庫、2013年)の中に収められている、「アジサイと回想」と題されたエッセイがぼくの心にしみこむ。
アジサイのイメージには程遠く、副題は「生きるに値する条件」とつけられている。
辺見庸が、「お粥につかったみたいに」むしむしとする日に、図書館に足を運び、そこでの出来事を書いている。
本を借りて一部を複写しにいく辺見庸は、二階のコピー機の場所で、コピー機を使用している若い男女に出会う。
若い男が文庫本を食い入るように読んでは、ページを選んで、拡大コピーをとっている。
彼は辺見庸が待っているのに気づき、まだコピーが10枚ほどあるため、「先になさいますか。」と辺見庸に声をかける。
その時に、書名が見える。
『将来の哲学の根本命題 他二篇』。
絶句した。…この世から消えたとばかり思っていた本が街の図書館にあり、しかも若者に閲覧されている。百万分の一ほどの確率かもしれない。だからこそ仰天した。一冊の本が千人の人との出逢いよりも自分を変えることがある。…あの本はそんな一冊であった。
辺見庸『水の透視画法』集英社文庫
辺見庸は近くのソファに座って待ちながら、必死で記憶をたぐる。
…たしか本にはこう書いてあるはずだ。初見後四十数年間、それだけははっきりとおぼえている。「悩むことのできるものだけが、生存するに値する」。これまで何万回反すうしたことか。正直、その一行に救われたこともある。悩むことのない存在は「存在のない存在」なのだ、ということも記されていたと思う。二人はあのくだりにこころをひかれるだろうか。
辺見庸『水の透視画法』集英社文庫
悩むことのできるものだけが、生存するに値する。
辺見庸は、かつて、19世紀のドイツの哲学者フォイエルバッハの、この一行に救われている。
虚構に流されることなく、リアリティの地下茎に向かって垂直に降りていく辺見庸の思考と語りを考えると、ぼくはそのことが自然にわかるような気がした。
この本を読みながら、他方で、作家の中谷彰宏の著作『悩まない人の63の習慣』(きずな出版)を読む。
現代に「悩む人たち」などに向けて、悩まないための「行動」や考え方が、鮮やかに提示されている。
この本を読みながら、現代の「悩み」は、人それぞれにとっては深刻であるけれど、それはひどく狭いところに押し込められた「悩み」のように感じる。
悩む必要のない「悩み」。
考え方を変えることでなくなる「悩み」。
行動することで解消される「悩み」。
成長していくことで質を変えていく「悩み」。
「悩み」と一言で言ってもいろいろとあって、それは重層的に理解し、解きほぐしながら日々を生きていくことが大切だと、ぼくは自身の悩みに向き合いながら思う。
しかし、それで「悩み」がなくなるわけではないし、完全になくなることがよいわけではない。
それでも残るような「悩み」は、フォイエルバッハの一言が示すように、「生存するに値する」源泉としての<悩み>として、生きるという経験を支えている。
悩むことのできるものだけが、生存するに値する。
大学時代にも辺見庸の作品を読みながら次から次へと読まなければいけない本が増えていったことと同じに、今回も、辺見庸からの「課題図書」がまた一冊増えた。