社会学者の見田宗介が、2010年8月に福岡のユネスコ協会で行った講演「現代社会はどこに向かうかー生きるリアリティの崩壊と再生ー」の最後を、次のように終えている。
…ボランティアに限らなくてもいいですけれども、実際に自分が役に立つようなことならばやりたいと思っている青年と、リストカットをする、あるいは無差別殺人をする青年というのは同じものを求めているわけです。つまり、それは生きることのリアリティを求めている。そこが大事だと思います。今の日本の若い人たちはいわば同じものを求めているわけですが、求め方が違っているのです。日本の若い人たちが自分の体を傷つける、あるいは人を傷つける、あるいは人を殺そうとする、そういうものとは違った仕方で、生きるリアリティを求める方法を見つけ出すことができれば、そこでもう一つ新しい時代が開けてくる可能性があるだろうと、そういうふうに思うわけです。
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年
ここで並列されている若者たちは、例えば、次のような若者たちである。
● ボランティア的・支援的な活動を入れた海外ツアーに意欲的に参加する若者たち
● リストカット、つまり手首を切る自傷者(例えば、卒業するまで死なないとして自死した「南条あや」)
● 無差別殺人をする青年(例えば、秋葉原事件の加藤智大)
「冷静な頭脳と暖かい心」で、1960年から日本の若者たちをみてきた見田宗介は、一般的にまた表層的にはまったく「別」として語られる若者たちが求めていることの「深い地層」を、ぼくたちに示してくれている。
別の著作で、見田宗介は、「南条あや」と「加藤智大」について、より詳細に見ている。
南条あやのように、少女たちの孤独が「自分に向かって」内攻するときにリストカットといった「自傷者」になり、リストカットをする少女たちの孤独が「外に向かって」爆発するときに「無差別殺傷」にはしった青年がいる。
南条あやが書き残した文章からは「生きていることのリアリティの確認儀式」のような感覚が語られ、また加藤智大は自分が「誰からも必要とされない存在」の中で犯行にでる。
そのような「感覚」の<深い地層>は、ボランティアなどで海外ツアーに赴く若者たちと、<求めるもの>において通底している。
1990年代に、アジアへの旅行にいわば「リアリティ」を求めていたぼくも、この<深い地層>において、これらの若者たちと同じものを求めてきたのだと思う。
南条あやとぼくは、ほぼ同時代人である。
ぼくは、「違った仕方」で、生きることのリアリティを求める方法を見つけただけだ。
その「方法」の鮮烈さに惹かれ、ぼくは当時、「旅によって人は変われるか?」という問題意識を手にし、見田宗介の理論と言葉に助けられながら、生きてきた。
一歩の歩みを間違っていれば、リストカットや殺人あるいは他の形で「リアリティの不在」が爆発したかもしれないという想像力を起点にすることで、現代の若者や現代という時代を考えてゆくことができる。
他者の問題ではなく、ぼく(たち)の問題である。
質疑応答で、やはりこの「リアリティの崩壊」の問題に触れられる中で、「なぜ昔はリアリティを求めようとしなかったのか」という質問に、見田宗介は次のように応答している。
…周囲との関係がリアルであればそれでいいわけで、もともと人間というのは昔からずっとそういう存在なのですから。現代だけがちょっと変わった状況で、人との関係が非常に薄いというか、情報を媒介にした関係というのがでてきた。…ケータイなどでメル友が何百人もいるという形で、いま友達をつくることも簡単になっていますが、おそらくそこで出来た友達というのはやはりリアリティがないんですね。…ケータイだけでつきあった人というのはものすごく友達を欲しがりますよ。ちょうどお腹すいた人が、本当は胃袋にたんぱく質が入らないとお腹は満たされないのだけれども、清涼飲料水とかコーラとかを飲むと一時ちょっと気が休まる。でもやっぱり飲んでも飲んでも空腹は収まらないですね。そんな感じが今の若い人にある。…
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年
リアリティの「再生」の方法のひとつとして、見田宗介は「人から必要とされること」を、アメリカの心理学者であったエリクソンの言葉を引用しながら、提示している。
エリクソンの言葉に、「mature man need to be needed」という言葉がある。
「成熟した人間は必要とされることを必要とする」ということである。
そこに、周囲との関係のリアリティが再生されていく「解決の出口」を、見田宗介はみている。
冒頭の「ボランティア的・支援的な活動を入れた海外ツアーに意欲的に参加する若者たち」ではないけれど、ぼくは東ティモールにいるとき、日本の「悩める」若者たちには東ティモールに来ることで、何らかの「解決の糸口」が見つかるのではないかと、本気で思っていた。
そんな東ティモールと西アフリカのシエラレオネという「生きるリアリティ」を強烈に押し出してしまうような社会(しかし、生きるための「ニーズ」の問題などに悩まされる社会)、それから、東京や香港という最先端の「先進」社会を生きてきた、ぼくのこの15年。
「新しい時代が開ける」ために、ぼくにできることをしようと思う。
「生きることのリアリティ」に、本気で立ち向かってきた一人として。