外国の友人と話をしていて、興味深いことを聞いた。
いろいろと海外旅行をしてきた中で、日本がいちばん、小さい子供たちが楽しめるところだと言う。
ヨーロッパに行くと、例えば、美術館や博物館などは、小さい子供たちがすーっと入っていけるものではない。
日本は、小さい子供たちが遊べるようなものが豊富だというのだ。
外国の友人の眼と体験を通じて見る「日本」というのは、日本人のぼくにとって「ブラインド・スポット」となっているところに光をあててくれる。
日本に住んでいたり、観光で行った海外の人たちからよく聞くことのいくつかは、次のことである。
● 人が親切であること(道をたずねるととても親切に案内してくれること、など)
● モノ(携帯電話やコンピューターなどの高価なものを含む)をなくしても戻ってきたり見つかったりすること
● 街などがきれいであること
これらのことは、直接の友人や知り合いからも聞き、また日本について語るPodcastのような番組などでも聞く。
「小さい子供たちが楽しめる場所」であるということは、今回、はじめて耳にしたと思う。
他で聞いた覚えはない。
もちろん、「体験」には限度があるから、その限度内でのことであるけれど、それでも一面の「真実」を伝えている。
アトラクションや会場に行って、小さい子供たちが楽しめるようなものが用意され、提供されている。
確かに「言われてみれば…」というところがないわけではないが、実体験として、実感としてはまだぼくの中で熟成されていない。
それでも、他者の眼と体験を通じて見える「世界」は、ひとつの視点として、ぼくの中に住みつく。
そのような視点やパースペクティブの集積が、ぼくの「世界」の豊かさを醸成してくれる。
視点やパースペクティブが、相互に矛盾し、相互に対立したりすることもあるけれど、それらを含めて「世界」は豊饒になってゆく。
「日本」の情景をみる視点がまたひとつ付け加えられ、情景は異なる様相を見せ始める。