「分析理性」のもとに、そして社会の要請のもとに、専門性を細分化しつづけてきた科学がもたらした「光」はとても大きいものでありながら、極度に細分化された科学がもたらした「闇」も大きい。
文系/理系という「境界線」も、学校教育制度のなかで学ぶものたちにとっては「あたりまえ」のこととして、受け入れ、選択し、文系/理系という「枠」に合わせてじぶんを成形し、そこに「将来」の道をつくりながらすすんでいく。
社会のさまざまな状況のなかで、今でも、「文系/理系」ということが議論の前線にもちだされる。
そのような「議論の前線」にふみこむことはしないけれど、文系/理系の境界線を超える経験のひとつを書きたい。
「文系」の大学に入って外国語(中国語)を学びながら、実践としてぼくは「旅」を方法としていた。
旅の豊饒さにひらかれると同時に、ぼくの「好奇心」もひらかれ、ぼくは社会学者である「見田宗介=真木悠介」の著作に出会うことになる。
大学生活における折り返し地点を折り返してからのことである。
見田宗介=真木悠介の著作を一冊一冊読んでいくなかで、なかなか手が出せない一冊があった。
『自我の起原』(岩波書店、1993年)である。
なかなか手が出せない理由のひとつに、その副題「愛とエゴイズムの動物社会学」に付された「動物社会学」という言葉があった。
その言葉は、動物「社会学」というよりも、「動物」社会学のように聞こえ、生物学の領域の「境界線」がぼくの前に引かれたのだ。
生物学という理系の響きに、ぼくは躊躇してしまったのである。
紀伊国屋書店の新宿店で、ぼくは本を手にとって、目次や構成などを目にすると、やはり生物学の記載が見られ、なおさら躊躇してしまうことになる。
それでも、ぼくを突き動かしたのは、著者が見田宗介=真木悠介という人であったことであり、そしてまた、副題の「愛とエゴイズム」であった。
小さい頃から、ぼくの思考の中を旋回し続けてきた「愛とエゴイズム」という問題を、ぼくはやはり追求してみたくなったのだ。
見田宗介は、社会学の特徴として「越境する知」であること(つまり領域横断的であること)を別のところで書いているけれど、それは「越境」が目的なのではなく、問題を追求してゆくうえで、やむにやまれず、専門領域を<越境>せざるを得ないということである。
「愛とエゴイズム」という問題を追求してゆくうえで、真木悠介=見田宗介は「生物社会学」などの知見も取り入れていかざるを得なかった。
…生物社会学的な水準の自我の探求は、この重層する自我の規定の、1つの基底的な位相を明確にしておこうとするものにすぎない。
けれども<自我>という現象のさまざまな契機ー個体であること.「主体」であること.自己意識.「かけがえのなさ」の感覚.等々ーの原初の起原を、生命の形態展開 evolutionの系譜の内に明確に同定しておくことは、現在に至るわれわれの「自己」という現象の本質と存立の機制を明晰に掌握する上で、不可欠の理論的予備作業である。
真木悠介「補論1<自我の比較社会学>ノート」『自我の起原』岩波書店、1993年
こうして、真木悠介自身も書いているとおり、著書『自我の起原』は<分類の仕様のない書物>として、世に放たれることになった。
この書物では、カルロス・サンタナも、進化生物学者リチャード・ドーキンスも、宮沢賢治も、<自我の起原>を探求する旅程に、ぼくたちの前に現れることになる。
「愛とエゴイズム」という問題の探求の内に、文系/理系という「境界」はもとより、さまざまな「境界」となる「分類」も、消失しながら、この名著はつくられたのだ。
この書物と学びの経験は、当時のぼくにとっても、そして今のぼくにとっても、圧倒的なものである。
文系/理系ということの内にじぶんなりに引いてしまっていた「/」という境界線を、じぶんの意識としては乗り越えたときでもあった。
専門領域を尊重しないわけではない。
けれども、この書物で真木悠介の言葉や理論や論理に導かれるようにして、「自我」や「愛とエゴイズム」などにかんする思考の旅をしながら、ぼくは、圧倒的な「自由さ」を感じることになった。
なぜなら、この書物を読んだ世紀の変わり目の頃も、そして今世紀も、ぼくたちの前には、専門領域を超えるようにしてしか(おそらく)探求できない問題・課題がいっぱいだからである。