心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)が、晩年に真剣に考えようとしていたこと。
「大きな流れの中における個人主義」。
この言葉は、小説家の小川洋子との対話のなかで、ふれられている。
「個」ということ、「個」への執着という話の流れにのって、言葉が生成している。
小川 あまりにも「個」に執着してると、何か行き詰まってしまうんですね。
河合 そう。「個」というものは、実は無限な広がりを持ってるのに、人間は自分の知ってる範囲内で個に執着するからね。私はこういう人間やからこうだとか、あれが欲しいとか。「個」というのは、本当はそんな単純なものじゃないのに、そんなところを基にして、限定された中で合理的に考えるからろくなことがないです。前提が間違っているんですから(笑)。
河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫
「個」ということ、「個」への執着にふれながら、小川洋子が「大きな流れ」の視点を導入し、河合隼雄はそれに応答している。
小川 何か大きな流れの中の一部として、自分を捉えるような見方が足りないんですね。
河合 「個」を大きな流れの中で考える、そういうふうに「個」を見るいうことはものすごく大事なんじゃないですかね。…僕はだから、これからそういうことを真剣に考えようと思っているんです。大きな流れの中における個人主義。現代の日本人が考えている個人主義というのは、ものすごく小さいんですよ。ムチャクチャに小さい。
河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫
「大きな流れの中における個人主義」。
それだけを見ると特記するような言葉ではないけれども、とても深いものが含まれている。
第1に、「大きな流れ」を、ぼくたち個人の「生きるという物語」にふたたび(でもこれまでとは異なる仕方で)取り戻そうとしていること。
河合隼雄はここで明示的に「大きな流れ」を説明していない。
しかし、カウンセリングにくる人が、河合隼雄との対話のなかで「その人の力で物語を作っていこう」とすることにふれており、外部的なお仕着せの物語ではないことを示唆している。
20世紀の歴史をふりかえっても、「大きな物語」がたくさんの不幸をつくりだしてきたことを河合隼雄は深いところで認識していると、ぼくは思う。
その意味でも、じぶんの人生の道ゆきで、じぶんで感じとり、選びとり、つくりだしてゆくような「大きな流れ」だと思われる。
このことは簡単ではないし、楽でもないことは河合隼雄は承知で、みんなが「自分で仕事せないかん」(つまり、じぶんで物語をつくらなければいけない)と語っている。
そして第2に、「個人主義」を手放すことなく、しかし、河合隼雄が語るように、「個」というものを捉え返すことを意図している。
個人「主義」という言い方はともあれ、また負の側面の存在もいったん横におくと、人類の歴史が「個人」を発見し、その方向にすすみ、それを獲得してきたことは、やはりとても大きなことであった。
ほんとうの「個人主義」への動きは、この世界で、現在進行形で、進行中である。
いまだ、さまざまな「偏見」のなかに、個人がおかれている。
そのようななかで、個人主義を手放すことなく、「個」を軸に考えられていることは、やはり大切なことだと、ぼくは思う。
しかし、「個」を軸にしながらも、「個」を探求し、捉え返し、前提を変えていかなければならない。
「大きな流れの中における個人主義」。
ぼくも、そこの方向に共鳴する仕方で、いろいろと考え、いろいろと書いているようなところがある。
ぼくのブログ「世界で生ききる知恵」の「世界で生ききる」ということのコンセプトは、晩年の河合隼雄が真剣に考えようとしていたことに重なっている。
だから、この簡潔に語られる言葉にぼくは惹かれている。