香港の夜空にのぼってゆく満月をときおり見ながら、宇宙論の最前線、「マルチバース理論」にふれる。
本は、野村泰紀『マルチバース宇宙論入門』(星海社新書、2017年)。
野村泰紀氏は理論物理学者で、現在は、カリフォルニア大学バークレー校教授、バークレー理論物理学センター所長である。
ぼくたちが住む宇宙のほかに、物理法則や次元が異なる無数の「宇宙たち」が存在するとする「マルチバース宇宙論」。
そもそもぼくが、野村泰紀と「マルチバース理論」を知って、そこに魅かれたのは、雑誌『現代思想』2018年1月号(青土社)における、野村泰紀へのインタビュー記事であった。
インタビュー記事は「量子的マルチバースと時空間概念の変容」と題され、それによってぼくの好奇心は点火された。
もう少し基礎的な理論や実証や議論などに触れたく思い、やがて、野村泰紀『マルチバース宇宙論入門』にたどりついたのだ。
『マルチバース宇宙論入門』はつぎのように構成されている。
【目次】
まえがき
第1章 「宇宙」って何?
第2章 よくできすぎた宇宙
第3章 「マルチバース」ー無数の異なる宇宙たち
第4章 これは科学?ー観測との関係
第5章 さらなる発展ー時空の概念を超えて
あとがき
参考文献
著作を通じて、ぼくを惹きつけるのは、さまざまな理論のその前提、出発点を問い返す視点と姿勢である。
例えば、これまでの宇宙論の「行き詰まり」の地点において、つぎのように書いている。
…我々の宇宙の全て(標準模型の構造や真空のエネルギーの値を含む)を物理学の基本理論から直接導出しようとする試みはほぼ完全に行き詰まったように見える。そしてそれは、この試み自体に何か決定的な誤りがあることを示唆しているように思える。それは前にも述べたように宇宙が唯一無二であると仮定したことと関係しているのだろうか?だとすれば標準模型やそれを単純に拡張した理論を超える「真の基本理論」から導かれる本当の自然界の姿とはどのようなものなのであろうか?
野村泰紀『マルチバース宇宙論入門』星海社新書、2017年
「試み自体」への疑問が、この文章の後に展開されるマルチバース理論への導線となってゆく。
無数の「宇宙たち」があるとするマルチバース理論については、論点をひとつずつ丁寧に追いながら、ひもといてゆく野村泰紀の説明を読むのがよいだろう。
ただ単に「無数の宇宙がある」ということに限らない、(ユニバースではない)マルチバースの描像、その理論へ寄せられる疑問や批判への応答など、ひと通りのことが、この本では展開されている。
「あとがき」で野村泰紀が書くように、『入門』の割には内容が難しく「式のない教科書」(野村泰紀)になっているようなところが、この本にはある。
理論物理学、量子力学、素粒子、標準模型、一般相対性理論(アインシュタイン)、超弦理論、インフレーション宇宙など、はじめて触れる人たちにとっては、なかなかとっつきにくい用語と論が次から次へと出てくる。
しかし、「本当に興味のある人はゆっくり読んでもらえれば…内容が分かるように書いた」(前掲書)と野村が言うように、その野村自身の研究を駆動してきた<知的好奇心の火>を灯すかぎりにおいては、宇宙論のこれまでのポイントと「最前線」を、この小さな本を通じて、知ることができる。
野村泰紀は、宇宙論もやがて、音楽のコンサートやアートの個展のような仕方で、講演や展示が文化活動のひとつとして定着していくとよいと、理想を描いている。
そのような理想に、ぼくも魅かれる。
「学問」などに閉じ込めておくのではなく、音楽やアートのように、宇宙論が自由に、そして楽しく会話が交わされる風景である。
そのような風景が遠くない未来に現実化することを、ぼくは明瞭にイメージしている。