西アフリカのシエラレオネで、2017年に発見された「709カラット」のダイヤモンド。
シエラレオネ史上3番目ともいわれるこのダイヤモンドのゆくえを、Time誌が追い、写真を含め6頁ほどの記事(Aryn Baker “The Diamond As Big As a Village”『Time』27 August 2018)にしている。
ダイヤモンドの「ゆくえ」と書いたが、正確には、それ自体のゆくえとともに、それが「もたらしたもの」である。
「ダイヤモンド」それ自体に特に興味をもっているわけではないぼくが、昨年からこのニュースを興味深く追っていたのは、まず第一に、それが、西アフリカのシエラレオネのことであったからである。
2002年、紛争が終結したばかりであった当時のシエラレオネに、ぼくはいた。
国際NGOの職員として、難民キャンプ支援、それから帰還民支援と呼ばれる支援の一環として井戸掘りプロジェクトなどに携わっていたのだ。
ぼくが常駐した場所は、ダイヤモンド産地であるコノ地区であり、地区としては前述のダイヤモンドが発見されたところである。
事務所をかまえていた付近は、ちょっと歩けば、すぐにダイヤモンド鉱山があった。
いわば、ほんとうにたくさんの「Komba Johnbull」たちが、日々、ダイヤモンド鉱山へと向かい、泥にまみれながら、作業をしていた。
このような経験が、ぼくを、シエラレオネとダイヤモンドに引きつけている。
Time誌は、あのダイヤモンドを発見した青年Komba Johnbull氏と、その青年が属する掘削チームのスポンサーであった牧師Emmanuel Momoh氏を中心に、「その後の物語」を語っている。
青年がどのようにダイヤモンドを見つけ、そして牧師がどのようにダイヤモンドを扱ったのか、そしてそのゆくえと「もたらされたもの」。
このダイヤモンドがいくらで落札されるかということ以上に、このダイヤモンドが、牧師によって、密輸業者ではなく、販売ルートでとしてシエラレオネ政府に届け出たことに、記事はフォーカスしている。
そのことは、確かに「大きな意味」をもつ行動であり、社会を変えてゆく力をもつかもしれない。
そこには、シエラレオネなどのダイヤモンドが、レオナルド・ディカプリオ主演の映画のタイトルのように、「Blood Diamond(血のダイヤモンド)」と呼ばれてきた物語を、「Peace Diamond(平和のダイヤモンド)」の物語へと変えてゆきたい人たちの意志と行動が、かけられている。
政府は、収益の15%を、ダイヤモンドが発見された地元の道路や学校や電気や水供給などに使うことを約束したのであった。
Momoh氏の発言について、Time誌はつぎのように書いている。
…「わたしたちのダイヤモンドはもう戦争のためのものではないのです。発展(development)のためのものなのです。」と彼は言う。「政府がダイヤモンドから取ったお金を村を発展することに利用するとき、ダイヤモンドは世界をよりよいところにすることができるのだと、全世界が見ることになるのです。」
Aryn Baker “The Diamond As Big As a Village” 『Time』(27 August 2018) ※日本語訳はブログ著者
「709カラット」のダイヤモンドは最終的に、最初に想定されたほど/夢見られたほど高値では売れなかったが、その収益の一部はMomoh氏と掘削チームのメンバーに渡されたことに加え、政府の約束通り、村のプロジェクトに還元され、プロジェクトが始動した(※Momoh氏は、プロジェクトのハードだけでなく、人などのソフト面が始動し維持されるのを注視していきたいとしている。正しいと思う)。
ダイヤモンドを発見した青年Komba Johnbull氏は、「貧困のサイクル」から抜け出ようと考え、自分の「教育」へ投資しようと考えるが、その「物語」はTime誌の記事を読んでほしい。
その経緯と顛末に、ぼくは考えさせられてしまった。
そのような思考とともに、かつて一緒に働いた人たちや村々の人たちは、どのような「物語」をその後紡いでいるのかと、ぼくの思いははるかシエラレオネへととんでゆくのである。