近藤麻理恵の「KonMari Method」による「片づけ」が世界的に注目されているが、やましたひでこが提唱する「断捨離」は、片づけのなかでも<手放す>ということにより重心をおいている(人生ステージにもよるけれど、ぼくはこの二つの方法の統合型がより効果があると思う)。
さらに、<手放す>ということについて、ぼくが多くを学ぶのは、精神科医のDavid R. Hawkins(~2012)からである。
David R. Hawkinsの著書に、『Letting Go: The Pathway of Surrender』(Hay House, 2012)がある。そのタイトル「Letting Go」のとおり、<手放す>ことにかんする本である。
<手放す>ことについて書かれてきた本で、ぼくがこれまで読んだなかで、もっとも包括的かつ科学的である。ぼくの座右の書のうちの一冊である。
「感情と心的機制」(Feelings and Mental Mechanisms)において、人が「感情に対処する方法」として、抑制(suppression)、表出(expression)、それから逃避(escape)があるとしている。
「抑制」は、感情をおさえつける仕方であり、意識的な押さえつけを「抑制(suppression)」、また無意識的な押さえつけを「抑圧(represssion)」として、David R. Hawkinsは厳密に分けている。
「表出」も、それ自体はわかりやすい。誰かに話したりすることで、感情が発散されたり、言語化されたりする。肝要なことは、誰かに話すことは、内的なプレッシャーが発散されるだけで、そもそもの感情の残留物は抑制されて残ることである。
それから、誰もが知るところの「逃避」である。誰もが経験として知るところだけに、David R. Hawkinsの言葉はつきささってくる。
逃避とは、気晴らしによって、感情を回避することである。この回避ということが、エンターテインメントや酒類業のバックボーンであり、またワーカホリック(仕事中毒)の経路でもある。現実逃避、そして内的な気づきの回避は、社会的に許される機制・メカニズムである。わたしたちは、わたしたち自身の内的な自己を避けることができるし、また、数かぎりない気晴らしによって、感情が湧き上がらないようにすることができる。気晴らしの多くは、それらへの依存度が上がるため、やがて中毒となる。
人びとは、無意識でいつづけることに必死だ。部屋に入るやいなやテレビのスイッチを入れ、絶えず自身に注がれるデータによってプログラムされながら夢遊状態で歩きまわる人びとを、どれほどよく観ることができることか。人びとは自身に向きあうことにおびえている。孤独である瞬間でさえ、ひどく怖れるのだ。こうして、終わりのない付き合い、おしゃべり、テキストメッセージの送受信、読書、音楽演奏、仕事、旅行、観光、ショッピング、過食、ギャンブル、映画鑑賞、薬の摂取、薬物使用、それからカクテルパーティーなど、絶えず熱狂させる活動にひたることになる。David R. Hawkins『Letting Go: The Pathway of Surrender』(Hay House, 2012) ※日本語訳はブログ著者
終わりのない付き合い、おしゃべり、テキストメッセージの送受信、読書、音楽演奏、仕事、旅行、観光、ショッピング、過食、ギャンブル、映画鑑賞などと、逃避の例はつづく。もちろん、これらがすべて、「逃避」を目的としているわけではない。歓びに充ちた読書や仕事もある。
けれども、ここで挙げられるような活動は「逃避となりうる」のだ。じぶん自身をふりかえると、やはり「逃避」だと思うことが多々ある。
さらには、逃避という、内的な気づきの回避は「社会的に許される機制・メカニズム」である。「読書」はダメだと言う人は、まずいないだろう。
上の文章につづく部分を、もう少し見ておこう。
前述の逃避の機制・メカニズムの多くは、欠陥があり、ストレスが多く、また効果がない。それぞれが、それ自体の中で、またそれ自体において、ますます多くのエネルギー量を必要とする。抑制され抑圧された気持ち(feelings)のますます増大するプレッシャーを押さえこむために、多大なエネルギー量が必要とされるのである。意識・気づきを漸進的に失い、また成長が停止する。創造性、エネルギー、それから他者に対する関心を喪失してしまう。精神的な成長が止まり、また最終的に、身体的また感情の病、病気、老化、それから早死にへと進展してゆく。これらの抑圧された気持ち(feelings)の投影は、やがて、社会的な問題、混乱、また今日の社会の自己中心的で冷淡な特性を増大させる。なにより、その効果は、他者をほんとうに愛したり信頼したりすることをできなくさせ、感情的な孤独と自己嫌悪をもたらすのである。
David R. Hawkins『Letting Go: The Pathway of Surrender』(Hay House, 2012) ※日本語訳はブログ著者
David R. Hawkinsは明確な記述で、逃避が悪いことだ、とまでは書いていない。そのメカニズムを語り、いわば「逃避活動の行く末」を書いているだけだ。そのようであるからか、David R. Hawkinsの説明は、じぶんをふりかえるときに、とてもするどい言葉となって、じぶんの内面に向かってくる。
このような「感情(feelings)」への3つの対処方法に代わる策は、とてもシンプルだ。抑圧された感情を<手放す>ことである。
方法は、これひとつである。
自己啓発的な方法やアドバイスは世の中にいっぱいにあるけれど、David R. Hawkinsが提示するのは、<Letting Go 手放す>こと、これひとつである。
ただし、シンプルだからといって、簡単というわけではない。抑圧された感情は手強く、幾層にもわたって積層している。ひとつはがれたと思ったら、また違う層があらわれることもある。
でも、じぶんを「変える」ことをいろいろに試みてきて、成果が出ないようなときには、この方法にかけてみるのはありだと、ぼくは思う。
ぼくも、少しずつ、手放している途上だ。その旅の同伴者として、David R. Hawkinsの著作『Letting Go: The Pathway of Surrender』は、ぼくにとって、ある。