堀江貴文著『すべての教育は「洗脳」である』-「G人材とL人材」論について、香港で考える。 / by Jun Nakajima

堀江貴文の新著、
『すべての教育は「洗脳」である』
を、ここ香港で読む。
副題は「21世紀の脱・学校論」。

日本では題名(とくに「洗脳」と
いう言葉)だけで反論を呼ぶのかも
しれないが、語られている内容は、
「まっとうな分析」である。

学校は、メインストリームの制度に
おいては、産業革命に開かれた社会
の枠組みを超えられずにいることは
確かだ。
(ただし、途上国における教育は、
若干の「留保」が必要であると思う。)

さて、本著作において、ぼくの関心事
とつながるところは、
「第2章 G人材とL人材」である。

堀江貴文によると、
今後、人は、生まれた国・地域に関係
なく、「生き方、考え方、働き方」に
おいて、次のように、大きく二つに
分かれていくという。

●G人材:「グローバル」を行動範囲
●L人材:「ローカル」(地元)に根付く人材

G人材は、彼の言葉では、次のような
人材だ。

 

【G人材】
・人物像:合理的・寛容・フラット
・大切なもの:自分のやりたいこと
・フットワーク:軽い・変化を好む
・豊かさの指標:情報
・こだわる場所:なし
・生きている時間:現在
・希少性:高い

堀江貴文
『すべての教育は「洗脳」である』
(光文社)

 

もちろん、例外を排除し、理解を
目的として簡素化された人材像である。

彼が本書で何度もくりかえすように、
どちらがよい・悪いということではなく
「生き方」の問題である。


大切なのは、GとLの二つから、
うまみのありそうな方を選ぶ
ことではない。自分のやりたい
こと、大切にしたいものを理解
することなのである。その結果
どちらを選ぶことになろうと、
あなたの”本音”と合致している
限り、幸せな生き方は追求でき
るはずだ。

堀江貴文
『すべての教育は「洗脳」である』
(光文社)

 

上述したように、堀江の「G人材・
L人材」論は、理解のために簡素化
された参照のようなものである。

なお、どちらでもない人は、
「N人材」として説明されている。
Nはnationの頭文字である。

それぞれの特徴の詳細はともあれ、
人材の「二極化」自体は、これから
さらにすすんでいくと思われる。

産業革命が牽引してきた「近代」と
いう時代の慣性、その解体という
力学のなかで、ぼくたちは、価値観
と生き方において、違う極に引き裂
かれている。

それら両極への力学のなかで、
大切なことは、自分の「生き方」で
ある。
世界の編成が目まぐるしく変遷する
なかで、どのように生きていきたいのか
が、いつもぼくたちに、問われている。



ところで、本書で触れられる、
G人材の豊かさの指標に記載された、
「情報」の考え方がおもしろい。

背景として押さえておくことは、
インターネットがもたらしたのは、
情報を、
「所有すべきもの」から
「アクセス」するものに、
変貌させたこと。
つまり、情報革命は、
「所有」の価値を落としたこと。

G人材は、このような、
「アクセスするもの」としての
「情報」に価値をおく、と語られる。

この方向性が内包する「可能性」は、
<消費/情報化社会>の弊害
を解決する•低減する道へと続いて
いるように、ぼくは直感する。

それにしても、
ぼくは、堀江貴文の「口癖」が好きだ。

 

「やればいいじゃん!」
 

何かに迷ったときに、ぼくの脳裡に
この言葉が聞こえる。

本書のメッセージは、冒頭に置かれ
た、この「口癖」にもどってくる。


行動は、いつしか、自分が「あたり
まえ」だと思っていることに疑問を
さす。

その裂け目から、「洗脳」をほどく
糸口がひらく。