シエラレオネのダイヤモンド、そして「石と花」 / by Jun Nakajima

西アフリカのシエラレオネで、
2017年3月、706カラット(一部
のニュースでは709カラット)の
ダイヤモンドを、牧師が発見した。

世界で、史上10番目にもなりうる
というダイヤモンドである。
タイム誌の記事によると、
US$5000万相当のダイヤモンド。
競売でまだ買い手がつかないようで
ある。

発見された場所は、シエラレオネ
東部の「コノ地区」である。
ダイヤモンド産地として有名な場所
である。

シエラレオネのダイヤモンドは
内戦や紛争の原因であり、資金源で
あった歴史をもつ。

ぼくは、2002年末頃から2003年
途中にかけて、「コノ地区」に駐在
していた。
ぼくの所属する国際NGOは、
難民・避難民の帰還支援として、
国連難民高等弁務官事務所と
共に、井戸掘削事業を展開して
いた。

コノは、当時電気も水道もなかっ
た。
電気はジェネレーターで発電し
水は井戸からであった。

事務所の周辺にはダイヤモンド
鉱山がひろがっていた。
朝から多くの人たちが、
手作りの竹ザルを手に、泥まみれ
になりながら、ダイヤモンド原石
を探していた。

巨大ダイヤモンド発見のニュース
は、ぼくに、コノを思い出させた。

ダイヤモンドは、ただの「原石」で
あるものが、磨きをかけていくこと
で、まさしく「ダイヤモンド」になる。
そこに「夢」と生活をかけて、
今日も、人々は鉱山で泥をすくう。



そのような記憶と、路上に咲く花が、
イメージとして重なる中で、野口晴哉
(「整体」の創始者として知られる)
の文章が思い起こされる。


花は花と見ることによって花である。
石は石と見ることによって石である。
花も石である。
石も花である。

野口晴哉『碧巌ところどころ』
(全生社)

 

この言葉の存在を教えてくれた
社会学者の見田宗介は、「教育や
福祉や看護の仕事に巣立ってゆく
年々の学生たちに、記して贈る
ことば」として、この言葉を次の
ように説明している。

 

野口晴哉がこのことをいう時、
それは美しい理想でもなく
主観的観念論でもなく、人間は
人間が気を集注する方向に変化し
伸びてゆくものだという、現実的
な人間理解と実践知によって
裏打ちされている。石も花として
花開かせるという仕事は、技法が
技法であることの核心をきちんと
通ってつきぬけてゆく気構えだけ
が、はじめて実現することのでき
る冒険である。

見田宗介『定本 見田宗介著作集X』
(岩波書店)


「人」にかかわるものとして、
石を花開かせることを身にひき
うけていく気構えと実践ができて
きたか、と、野口晴哉の厳しく
美しい言葉は、ぼくに問いをなげ
かけてくる。

シエラレオネで
原石がダイヤモンドとして成る。
ぼくは、シエラレオネで、
「支援」という仕事の実践で
石を花開かせることができたか。

香港の路上で、
美しい花を見ながら、
また、香港の「Hong Kong
Sevens」の開幕が、香港の
春の訪れをつげるなか、
そんなことを、ぼくは思っている。