「ぼくにとっての『香港と村上春樹』」
(とブライアン・ウィルソン)という
ことを書いた。
そうしたら、それでは、ぼくにとって
の「シエラレオネと村上春樹」は
どうなんだろうと、思ったのだ。
ぼくにとっての、
まったく個人的な経験としての、
「シエラレオネと村上春樹」。
シエラレオネと村上春樹が、直截的
につながっているわけではないけれど、
ぼくを通じて、この二つは確かに
つながっている。
でも、直感的に、やはり「何か」が
あるように、ぼくには感じられる。
だから、書いておこうと思う。
ぼくが国際NGOの職員として
シエラレオネに行っていたのは
2002年から2003年にかけての
ことであった。
シエラレオネは2002年のはじめに
10年以上にわたった内戦が終結した
ばかりであった。
また、隣国リベリアでも内戦が続き、
リベリアからシエラレオネへは
難民が流入していた。
2002年、ぼくは東京で黄熱病の予防
接種を受け、上司と共に、ロンドンを
経由してシエラレオネの首都フリー
タウンに入った。
最初は短期出張であった。
難民キャンプの運営プロジェクトの
補佐である。
ぼくは、東京と同じ地球の、同じ
時代の、ただ飛行機で着いてしまう
場所で、まったく違った現実の中に
いた。
最初の短期出張は3か月ほど続いた
だろうか。
ぼくは、シエラレオネの短期出張
から日本にもどり、そのとき、
村上春樹の長編小説『海辺のカフカ』
を読むことになる。
ぼくは、小説『海辺のカフカ』の
登場人物に、
また、そのときの村上春樹に、
「肯定性への転回」を読みとっていた。
『海辺のカフカ』では、
主人公の少年がヒッチハイクで四国
への旅を続ける場面がある。
その旅で、主人公は、あるトラックの
運転手に出会う。
朝食を食べる場面で、運転手の口から
「関係性」ということが語られる。
「関係性ということが実はとても
大切なことじゃないか」といった風に。
村上春樹の初期の作品が、社会からの
「デタッチメント」を色調としてきた
のに対し、ここでは「関係性」への
コミットメント的なことが物語として
語られている。
旅に出ていた主人公の少年は、
最後には「家に帰り、学校に戻ること」
を決める。
この物語の展開のなかには、
とても大切な「転回」がひそんでいる。
少年は、「非現実的世界」において、
この「転回」を生き、現実的な世界に
戻っていく。
どんな人も現実的な世界のなかで
暮らしているけれど、
生きることの様々な場面で、
非現実的な世界、非日常の世界に
接触し、新たな力を獲得して、
現実的な世界に戻ってくる。
『海辺のカフカ』の少年もそうだし、
『銀河鉄道の夜』のジョバンニもそう
であったし、
宮崎駿の作品に登場する主人公たちも
そうである。
村瀬学は、日本の戦後歌謡を追うなか
で、歌詞に「丘」(字義通りの「丘」
もあれば、象徴的な「丘」もある)
が多いことに気づく。
例えば、人は現実に疲れ果てたとき、
丘をのぼり、そこで生きる力を得て、
坂を駆け下り、現実の世界に戻って
いく。
(なお、『銀河鉄道の夜』のジョバン
ニも、その銀河鉄道の夢をみたのは、
丘の上であった。)
そんなことを、シエラレオネから
戻ってきた日本で、ぼくは村上春樹
の『海辺のカフカ』を読みながら
考えていた。
シエラレオネに仕事で行くことに
なったことは、そもそも、ぼくが
国際協力・国際支援の分野に
コミットすることを決めたことに
遡る。
ぼくにとっての「丘へのぼって、
生きる力を得て、駆け下りてくる」
という「転回」は、1996年に、
ワーキングホリデーでニュージー
ランドへ行ったことである。
それは、そのときには、まったく
わからなかったけれど。
ぼくのなかで「デタッチメント」
から、「コミットメント」へと
転回したときである。
今、思い返すと。
そのコミットメントの延長で、
ぼくは国際協力を専門として学び、
国際NGOに職を得て、
西アフリカのシエラレオネに
辿りついたわけだ。
そのタイミングで、
ぼくは村上春樹の『海辺のカフカ』
を読む。
内戦の傷跡が深く残るシエラレオネ
から戻ってきたなかで。
ぼくは、シエラレオネの日々に、
積極的に、自分のために文章を書く
ことがほとんどできなかった。
仕事に深く没頭していたことも
あったけれども、
現実に圧倒されて、自分のなかに
言葉がなかった。
そんななかでも、「物語を読む」
ということは、ぼくを癒すことで
もあった。
ぼくの内面では、「物語」が
ぼくを暗い次元に投げ込むことを
防いでいたのだと、今は思う。
当時はそんなことを考える余裕は
なかったけれど。
ぼくにとって、
シエラレオネと村上春樹は、
こんなふうにつながってきた。
あくまでも、ぼくにとっての
個人的な体験にすぎないけれど。
また、それは一見すると、
まったく関係がないものごとの
つながりである。
でも、実は、どこかで、何かで
つながっているように、ぼくは
感じている。
そして、
(広い意味での)「物語」は、
世界を変える力をもつと、
ぼくは思う。
それが、シエラレオネの現場で
あろうと、村上春樹の読者が
生きている世界であろうと。
だから、力強い「物語」を
つくっていかなければならない。
ほんとうの「リーダー」は、
そんな「物語」を語ることの
できる人たちである。
すぐには成果はないかもしれない
けれど、人に未来をみせる・感じ
させる「物語」を、である。
「未来」という言葉が、消え失せ
ていってしまうような世界で。
追伸:
シエラレオネにも持って行った
村上春樹の本は、
『もし僕らのことばがウィスキー
であったなら』(新潮文庫)
でした。
シエラレオネにロンドン経由で
行っていて、この紀行本の舞台で
あるスコットランドが近く感じら
れたこともあるかもしれません。
ただ、ひどく疲れた日に、
この本をひらいて、村上春樹の
言葉のリズムに身をまかせると、
気持ちが楽になったのです。
だから、
東ティモールに移っても、
この本はぼくと共にありました。
そして、
香港に移っても、
この本はぼくと共にあります。