人も、本も、音楽も、
たまたまの偶然によって、
すてきに出会うこともあるけれど、
ときに「すてきな出会いに導いて
くれる人」に出会うという偶然に、
ぼくたちは出会うことがある。
ぼくにとって、作家の村上春樹は、
「すてきな出会いに導いてくれる人」
である。
ちなみに、村上春樹は、ぼくにとって
- 「物語」を語ってくれる人
- 「生き方」を指南してくれる人
- 音楽や本へと導いてくれる人
である。
今回は、3番目、音楽への出会いを
導いてくれたことの話である。
ぼくが香港に移ってきた2007年の末
のこと。
村上春樹は、和田誠と共に、
『村上ソングズ』(中央公論新社)
という著作を出版した。
本書では、29曲が取り上げられ、
村上春樹が英語歌詞の翻訳と解説を、
和田誠が絵を描く形で、つくられて
いる(内2曲は和田誠が解説)。
29曲の内2曲をのぞいて、すべて
村上春樹が選んだ曲たちである。
その一曲目に、
「1965年に発表されたビーチボー
イズの伝説のアルバム『ペット・
サウンズ』に収められたとびっきり
美しい曲」(村上春樹)である、
「God Only Knows」
(「神さましか知らない」)が
とりあげられている。
ビーチボーイズのリーダー、
ブライアン・ウィルソンが作曲した
名曲である。
…God only knows what I’d be
without you.
…君のいない僕の人生がどんなもの
か、それは神さましか知らない。
「God Only Knows」
村上春樹が「いっそ『完璧な音楽』
と断言してしまいた」くなる音楽で
あり、
ビートルズのポール・マッカートニ
ーが「実に実に偉大な曲だ」と言う
名曲である。
ぼくは、村上春樹の翻訳と解説を
読みながら、この曲のメロディーと
コーラスに想いを馳せていた。
当時は、今のように、Apple Music
ですぐに検索して聴くなんてことが
できなかった。
だから、香港のCauseway Bayにある
HMVに行って、ビーチボーイズの
名盤『ペット・サウンズ」を購入する
しかなかった。
昔(1950年から1960年代)の音楽が
好きなぼくは、以前にも、もちろん
『ペット・サウンズ』は聴いていた
けれど、この曲は覚えていなかった。
二十代前半くらいまでは、村上春樹が
ビーチボーイズを語るときによく話題
に挙げるビートルズを、ぼくはよく
聴いていたこともある。
さて、名盤『ペット・サウンズ』をCD
で購入して、聴く。
「God Only Knows」は、すてきなメロ
ディと言葉の響きを届けながら、ぼく
から、なつかしさの感情もひきだす。
ちょっと調べていると、
映画『Love Actually』の最後のシーン
で流れていた曲だとわかる。
クリスマス後の空港で、人が再会して
いくシーンである。
「空港での再会」は、海外をとびまわ
っていたぼくにとって、とても印象的
なシーンであったから、ぼくはよく
覚えていた。
香港で生活をしていたぼくにとって、
名曲「God Only Knows」は、
なぜか、心に響いた。
それからも、ブライアン・ウィルソン
のCD・DVDで、ブライアンがこの曲
を歌うのを聴いていた。
香港に生活を移し、30代を生きるぼく
には、ビートルズよりも、ビーチボーイ
ズ(ブライアン・ウィルソン)の方が、
心に響いていた。
村上春樹は2007年の『村上ソングズ』
に引き続き、2008年に、
ジム・フジーリ著『ペット・サウンズ』
の翻訳書(新潮社)を出版した。
時は過ぎ、2012年8月、
ビーチボーイズが結成50周年を迎えて
再結成しての世界ツアーを敢行。
香港にもやってきたのである。
ブライアン・ウィルソンの苦悩の個人史
などから再結成の世界ツアーはないと
思っていたから、驚きと歓びでいっぱい
であった。
ブライアン・ウィルソンも70歳を迎え、
他のメンバーも高齢である。
コンサートは休憩を途中はさんで、
第一部と第二部の3時間におよんだこと
に、ぼくはさらに驚かされることになった。
この香港公演で、
ブライアン・ウィルソンは、
名曲「God Only Knows」を、
ぼくたちに、聴かせてくれた。
彼の歌声に耳をすませながら、
ぼくはなぜか、目に涙がたまったことを
覚えている。
それから3年が経過した2015年。
ブライアン・ウィルソンの半生を描いた
映画「Love & Mercy」が上映された。
ぼくは、映画館に足をはこび、
ブライアン・ウィルソンの苦悩の半生を
観る。
ぼくにとっては、ぼくの内面の深いとこ
ろに届く映画であった。
そして、2016年、ビーチボーイズは、
再度、香港公演にやってきたけれど
(HK Philとの共演)、
今度はブライアン・ウィルソン抜きの
メンバー構成であった。
ブライアン・ウィルソンは、個人で
世界公演に出ていたのだ。
ビーチボーイズの香港公演は
これまたすばらしいものであったけれ
ど、ブライアンのいない公演は寂しい
ものでもあった。
同年、ブライアン・ウィルソンは、
半生を綴った自伝を発表している。
そして、この自伝の存在が、
ぼくにブライアン・ウィルソンを
思い出させたのだ。
よくよく観てみると、
ぼくの香港10年は、村上春樹とブライ
アン・ウィルソンに、
「音楽」を通じて彩られた10年でも
あったことに、ぼくは気づいたのだ。
香港
x
村上春樹
x
ブライアン・ウィルソン
ぼくの中で、この組み合わせによる
化学反応がどのように起こったのかは
わからない。
でも、確かに、それはぼくの中で、
香港と村上春樹とブライアン・ウィル
ソンだったのだ。
追伸:
村上春樹がブライアン・ウィルソンに
ついて書いている本は下記です。
●『意味がなければスイングはない』
(文芸春秋)
●『村上ソングズ』(中央公論新社)
●『ペット・サウンズ』(新潮社)
『意味がなければスイングはない』の
中で、ブライアンを取り上げ、
ブライアンの名曲「Love and Mercy」
について文章を書いています。
村上春樹は、ハワイのワイキキで、
ブライアンの歌う「Love and Mercy」
に、胸が熱くなる経験をしています。
映画「Love & Mercy」のタイトルは
この名曲から来ています。
映画の最後に、この曲がながれます。
映画館でぼくは、村上春樹と同じよう
に、その曲と歌声に含まれる切実な
想いに、胸が熱くなりました。