留学生である夏目漱石のイギリスでの苦悩と「変身」。-「嚢(ふくろ)を突き破る錐(キリ)」を追い求めて。 / by Jun Nakajima

夏目漱石『私の個人主義』に最初に目を通したのは、確か、大学か大学院で勉強していた20代前半のことであったと思う。

夏目漱石の書くものにぼくは深く惹かれていたわけではない。

中学や高校での教科書や読書感想文用の図書として取り上げられる夏目漱石であったけれど、どうにも、深く入っていくことができずにいた。

ただ、おそらく、「個人主義」という言葉にひかれて、手にとったのだと思う。

当時のぼくは、個人と共同体、自由主義と共同体主義などのトピックに、正面からぶつかっていた時期であったからだ。

でも、『私の個人主義』もあまりぼくの心身に合わず、読んだ内容はほぼ覚えていないような状況であった。

 

20年程が経過して再び『私の個人主義』を手にとろうと思ったのは、ある論考を読んでいて、「留学生の夏目漱石」に焦点をあてた箇所に惹かれたからである。

『現代思想』誌(青土社)の2016年9月号(特集:精神医療の新時代)における、酒井崇「適応することと潜勢力としての思考」という論考のなかである。

精神病理学を専門とする著者が、「大学において留学生の相談・診療業務」をするなかで、留学生などにみられる「適応の困難さ」について論じている。

論考の展開のなかで、「留学生漱石」に光をあて、イギリス(ロンドン)に留学した夏目漱石が、ロンドンの生活に「不適応」を起こしていたことに目をつける。

 

イギリス留学に行くずっと以前から「不愉快な煮え切らない漠然たるものが、至るところに潜んでいるようで堪まらない」(夏目漱石、『私の個人主義』青空文庫)感覚を漱石は持ち続けていた。

「私はこの世に生れた以上何かしなければならん」(前掲書)と思いつつ、思いつかないといった、状態である。

漱石は、この状態を、「あたかも嚢(ふくろ)の中に詰められて出る事のできない人のような気持ち」と語り、「一本の錐(キリ)さえあればどこか一箇所突き破って見せるのだ」(前掲書)というように、焦り抜いていたという。

不安を抱いたまま、漱石はイギリスのロンドンに渡ることになる。

 

…この嚢を突き破る錐は倫敦(ロンドン)中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。

夏目漱石『私の個人主義』青空文庫

 

本を読んでもうまくいかない。

本を読む意味さえも失うなかで、夏目漱石はひとつの「気づき」を得る。

 

 この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う道はないのだと悟ったのです。今までは全く他人本位で…そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。

夏目漱石『私の個人主義』青空文庫

 

夏目漱石がそうして行き着いたのが「自己本位」ということである。

「自己本位」という言葉を手に入れた漱石は、文学に限らず、科学的研究や哲学的思索にふける。

「自己本位」が道を照らしたのだ。

そのとき、留学してから、一年以上が経過していた。

漱石はこう語っている。

 

…外国へ行った時よりも帰って来た時の方が、偶然ながらある力を得た事になるのです。

夏目漱石『私の個人主義』青空文庫

 

漱石のロンドン「不適応状態」に焦点をあてた酒井崇は、「嚢を突き破る錐」は何であったのだろうと問う。

 

…英国へ留学して一年間、いわば不適応状態にあった漱石を変えたものは何であったのだろうか。…たんに英文学に見切りをつけて、関心を文学そのものへ移したということだけのことでは決してない。「概念を根本的に自分で作り上げ」ようとしたこと、周囲から神経衰弱と言われるほどまでに「思考」したことが錐となったのではないだろうか。

酒井崇「適応することと潜勢力としての思考」『現代思想』(青土社)2016年9月号(特集:精神医療の新時代)

 

夏目漱石が「私の個人主義」の講演を行なったのは1914年(大正3年)11月25日。

漱石が他界する2年前の講演で、そのとき漱石は47歳であった。

イギリス留学の年から14年が経過していた。

ぼくも幾分、霧の中をくぐり抜けてきた漱石と同じような経験を通過してきた。

そのためなのか、漱石の言葉をかみしめる素地が少しはできたのかもしれない。

久しぶりに読む『私の個人主義』のなかに興味のつきない語りを見つけ、それらがぼくに迫ってくるように感じられる。

なお、「個人主義」という言葉だけでは、ミスリーディングになりやすい。

だから、「私の個人主義」というように「私の」がつけられているように思う。


夏目漱石は、この講演で聴衆に向けて、次のような、熱を帯びた言葉を投げかけている。
 

…もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。…もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏潰すまで進まなければ駄目ですよ。ーもっとも進んだってどう進んで好いか解らないのだから、何かにぶつかる所まで行くよりほかに仕方がないのです。

夏目漱石『私の個人主義』青空文庫

 

「掘当てるところまで行ったらよろしかろう」と、漱石は語る。

それにしても、留学生の漱石に会ってみたくなった。