20歳のころから、ぼくにとっての大きな主題は「人が変わる」ということであった。「人が変わる」ということにまつわる、その方法をぼくは探っていた。ぼくがそのときに得た具体的な方法は「異文化」であった。
大学時代、ぼくは異国を旅し、それを<方法>とした。つまり、「旅」のなかで、あるいは「旅」の経験をジャンプ台として、「じぶんが変わる」ことを追い求めた。そのとき日本社会は、阪神大震災やオウム事件を通過し、21世紀の変わり目に直面していた。
とはいっても、夢中になって旅しているときに、明確に認識していたわけではない。旅の経験がぼくのなかでつみかさなり、それらをことば化してゆくなかで、ぼくは「旅」を方法のひとつとして認識したのであった。
旅の経験をことばに変えてゆく。その動機は意図的というよりも、衝動的といったほうがより正確である。「書かずにはいられない」という気持ちが、ぼくをかりたてていた。こうして、「断片集」というかたちで、ぼくは旅の経験を書いた。
文章を書いたのは、大学を卒業し、すぐには就職せず、大学院にすすむための準備をしているときであった。泳いでいるときの「息つぎ」のような時間に、ぼくは書いたのであった。「断片集」は、幾人かの友人たちに、送らせて(贈らせて)いただいた。
それにしても、「じぶんが変わる」という主題の立て方について、ぼくはいまになってかんがえる。そこに流れている気持ちはどのようなものであったのか。あるいは、その主題は、何を<前提>としていたのだろうか。断片集を書いたときから20年以上がたって、いっそう距離をおいてじぶんをみつめなおすなかで、ぼくはかんがえてみる。
この主題にあるのは、「じぶんが変わりたい」という渇望である。からだとこころの奥底からわきあがってくるような欲望である。こういうのもなんだか変ではあるのだけれど、ぼくは「じぶん」から抜け出したいと思っていた。
いま思うと、「じぶんが変わる」という主題の立て方は、問題の本質をつくものではなかった。ぼくの渇望がぼくを急かしているかのような、主題の立て方であった。
そんな折だったと思う。渇望が先行してしまうような主題だったけれど、その渇望の道ゆきに、ひとつの著作がぼくの前に現れる。
真木悠介の名著『自我の起原』(岩波書店、1993年)であった。
社会学者の見田宗介が真木悠介名で書いてきた著作の、いわば最後に位置する著作である(時系列的には、現在のところ『旅のノートから』が真木悠介名の最後の著作になるがこれは主軸とされる著作ではない)。
自我の起原を、生物社会・動物社会にまでさかのぼり探究される著作であるが、そこでは「じぶん」を超えでてしまう契機が描かれている。「じぶんが変わる」ということを直接の主題としているわけではないが、その「じぶん」という現象が、標準的な生物社会学の糸をたぐりよせながら、その根抵において探究されている。
ぼくにとっての「じぶんが変わる」というつたない主題が、その根柢においてひらかれてしまう、という経験を、ぼくは感じることになる。それも、思ってもみなかった仕方で。どのようにひらかれたかについては、また別の機会に書きたい。