村上春樹は、1960年代の学園闘争の時に感じていた「表層的な言葉に対する不信感」を、今となっても感じていることを、作家の川上未映子と語る中で、ふれている(『みみずくは黄昏に飛びたつー川上未映子訊く/村上春樹語るー』新潮社)。
村上春樹が取ったのは、社会からの「デタッチメント」という仕方である。
それが1990年代頃から「コミットメント」へと姿勢が変わってきたことを、当時は心理療法家の河合隼雄と語り、そして川上未映子との会話の中でもふれている。
同時代に、社会学者の見田宗介も、異なる側面からであるけれど、「ことば」の問題に直面していた。
見田宗介は1970年代、言葉によっても、暴力によっても、世界が変わっていかない社会の只中で、「人間は変わることができるか」という問いをきりひらく方向性を次のようにつかんでいた。
…そのころまでに、わたしたちのつかんでいた方向は、こういうことだった。言葉ではない、暴力ではない、<生き方の魅力性>によって、人びとを解き放つこと、世界を解き放ってゆくのだということだった。
見田宗介『定本 見田宗介著作集X』岩波書店
その「具体的な方法」のひとつが、身体技法であった。
整体の創始者としてしられる野口晴哉の著作との出会いにより、見田宗介は「爽快な視力」を獲得していったものと、思われる。
1970年代は、見田宗介(真木悠介)にとって、<生き方の魅力性>ということを軸に、社会学という仕事の上でも「大きな転回」のときであった。
見田宗介は「野口晴哉の見方」もとりあげながら、1985年に、「都会の猫の生きる道ー教育という視点の彼方」という文章を論壇時評として書いている。
ニューヨークでネコを飼うときは、去勢するのが普通だという。そのことを「ネコのためだ」という人がいて、背筋が寒くなったことがある。ネコの去勢をアメリカ人はフィックス(fix)というが、これは日本語の「しつける」という語感を思わせる。
人間の身体というものを知りつくしていた野口晴哉の観察によれば、わたしたちが普通、子どもや赤ん坊のためにするのだと思い込んでいる育児法とか「しつけ」の仕方の多くの部分は、大人の都合にすぎないという。人間の都合でネコを去勢する都会の市民たちとおなじに、わたしたちはそれを自分で「愛情」と錯覚している。
見田宗介「都会の猫の生きる道ー教育という視点の彼方」『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
ぼくが「感覚」でしか感じられてこなかったことにたいして、野口晴哉や見田宗介は、言葉を与えてくれる。
子どもたちは、どこか感覚で、「しつけ」や「説教」の多くにたいし、「大人の都合」を敏感に感じとっていたのだと思うし、それは今でも基本的にあまり変わっていないように思う。
そのような環境の中で、子どもたちの中には、ますます家庭や社会からの「デタッチメント」を生きていかざるをえないような方向に、舵をとってしまうものもいる。
大人も子どもも、どの方向に、生き方をきりひらいていくのかが、やはり問われる。
日本では「生き方」にかんする本を手にとる人たちがでてきているときく。
吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』(1937年)の漫画化された本が、わずか2ヶ月ほどで50万部も売れたという。
先月、宮崎駿も新作の題名を、吉野源三郎の小説からとった「君たちはどう生きるか」となると明らかにしたというニュースが流れた。
「しつけ」や「説教」などに疲れ果てた世代たちが、「説教めいた本」を意識的にあるいは無意識的に避けながら、しかし<漫画という入り口>には関心をむけて、心の奥では気になっている「生き方」へと向き合っているように、ぼくには見える。
「どう生きるか」は、ぼくたちが避けても避けても、向こうの方から、幾度もやってくる問いである。
試験のような「答え」がない問いである。
それでも、問いにたいし、「まっすぐに」語られるときがくるとよいと、ぼくは思う。
説教でなく、見田宗介たちがつかんだように、<生き方の魅力性>にひらかれながら。
その方向性に、「大人の都合」はその姿を変えてゆくのかもしれない。
アニメーション映画の最後に、かけられていた魔法が解かれてゆくように。