NewsPicksの記事「AI、シンギュラリティ、計算機自然…。落合陽一がいま、考えてること」(2017/12/11)は、筑波大学准教授である落合陽一のプレゼンテーションから8つのトピックをとりあげ、簡潔にまとめている。
その最初のトピックとして挙げられているのが、「1. 近代と現代」である。
落合陽一自身の言葉かはわからないけれど、そこには、次のような見出しがつけられている。
「標準化、統一化」からの卒業
落合陽一は、近代という時代の「テーマ」を次のようにきりとっている。
近代は、一人ひとりが多くの人間のために「標準化」した、いわゆる人間らしい社会をつくることに必死で、それがテーマでもありました。その結果、僕たちは「統一化」されてしまったのです。テレビなどのマスメディアはいい例で、皆が似たような感性や思考となってしまいました。
NewsPicks「AI、シンギュラリティ、計算機自然…。落合陽一がいま、考えてること」(2017/12/11)
「近代というプロジェクト」にとって、(自由と平等という理念にもかかわらず、いったんはそれらを凍結し)近代家父長制という制度のもとにリソースを集約してきたことは、社会学者の見田宗介が明晰に語っているところである。
「近代」市民社会は、「標準化」の力学で、土着のものを解体してきたことについては、別のブログ(「標準化」と「共通語」の異なり)でも見てきた。
落合陽一は、「現代は違う」と語り、「多様性への変化、ダイバーシティ」への時代の流れを見ている。
それが、「標準化、統一化」からの卒業である。
落合陽一が「多様性・ダイバーシティ」を挙げるのは、落合の主戦場である情報テクノロジーである。
インターネットからスマートフォンの流れで、「個人」が好きなことをできるようになってきたことが挙げられている。
その上で、「統一化された社会の枠組みでものごとをかんがえるフェーズ」から「多様性ある社会でアップデートするすべを考えなくてはならない時代」の到来へと、落合陽一は目を向けている。
落合陽一の研究の芯をささえているのは、このような大きな流れをつかみ、そして描かれた未来である。
シンギュラリティなどで語られる人とコンピュータとの関係性についても、コンピュータやロボットによる人間支配ではなく、その逆の未来を描いている。
…人が自由意志などの近代パラダイムを脱構築することで、新しい形の共存を作り出す。それによって私たちは今よりも自然な、そしてストレスや無理のない毎日が送れるような未来を描いています。
NewsPicks「AI、シンギュラリティ、計算機自然…。落合陽一がいま、考えてること」(2017/12/11)
その手段として、落合が追い続けている研究テーマが「計算機自然・デジタルネイチャー」である。
「標準化、統一化」から卒業した先の「多様性・ダイバーシティ」をささえる、ぼくたちの<共通のことば>を、テクノロジーを実際に駆使しながら、落合はここに構築しようとしている。
ダイバーシティはただダイバーシティであればよい、というものではない。
近代のプロジェクトを推進してきた「標準化」の力のエッセンスを<共通のことば>として残したままで、ダイバーシティのある社会をひらいてゆくこと。
落合陽一の企ては、デジタルネイチャーという<共通のことば>を基幹にしながら、この「現代」をひらこうとしている。