ひどく疲れた日にそっとひらく本 - 言葉の身体性とリズム / by Jun Nakajima

ひどく疲れた日に、
ぼくには、そこに帰っていく
ような本がある。

本をそっとひらき、そこで語られる
言葉の海にはいっていく。

 

1. 村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)

新作が本日発売された村上春樹氏。
小説だけでなく、「紀行文」も
ぼくたちの奥底に染みいる。

この本は、スコットランドと
アイルランドへのウィスキーの
旅を綴った美しい本である。

スコットランドとアイルランド
の美しい風景、それからウィスキー
の深い香りが漂ってくる。

スコットランドのアイラ島。
村上氏は、現地式をまねて、
生牡蠣にシングルモルトを
とくとくと垂らして、口に運ぶ。

 

…至福である。
人生とはかくも単純なことで、
かくも美しく輝くものなのだ。

村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)

 

これを知って、試さずには
いられない。
ぼくも幾度となく、この至福の
時を楽しむ。

この本は、文章だけでなく
村上氏の奥様、陽子さんの
写真が、心の深いところに
響いてくる。

これらの美しい写真が
言葉に表しようのない感情を、
静かに呼び覚ますのである。

ひどく疲れた日に、ぼくは
村上春樹氏のこの本を
そっと開く。

スコットランドを綴る最後に、
ボウモア蒸溜所のマッキュエン氏が
口にする「アイラ的哲学」が
置かれている。

 

「みんなはアイラ・ウィスキーの
とくべつな味について、あれこれと
分析をする。大麦の質がどうこう、
水の味がどうこう…。でもそれだけ
じゃ、…魅力は解明できない。
いちばん大事なのはね、ムラカミ
さん、…人間なんだ。…人々の
パーソナリティと暮らしぶりが
この味を造りあげている。…
だからどうか、日本に帰ってそう
書いてくれ。…」
 というわけで、僕はそのとおり
に書いている。神妙な巫女みたいに。

村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)

 

ぼくも、その御宣託を受けるように
この言葉を心にしずめて、
この小さな美しい本を閉じる。

 

2. 見田宗介『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』(岩波書店)

この本も、美しい本である。
社会学者の見田宗介先生が
宮沢賢治を通じて、自我という問題、
<わたくし>という現象を考える。

宮沢賢治の文章(と生)と見田宗介
の文章(と生)が織りなす、まさに
<存在の祭り>というべき本である。

この本を読んでいると、ぼくの
精神がおちつきを取り戻していく。

村上春樹氏の文章と同じように、
見田宗介先生の文章は、
言葉が生きている。
リズムがあり身体性を感じるのだ。

この『宮沢賢治』は、
宮崎駿の映画のように、
「主人公」が異世界を通過して
肯定的に現実世界に戻ってくる

構成ですすんでいく。

見田先生は宮沢賢治の詩篇「屈折率」
から、宮沢賢治の生涯に思いを
馳せる。

 

 <わたくしはでこぼこ凍ったみち
をふみ/このでこぼこの雪をふみ>
と、くりかえしたしかめている。…
あれから賢治はその生涯を歩きつづ
けて、…このでこぼこの道のほか
には彼方などありはしないのだと
いうことをあきらかに知る。
 それは同時に、このでこぼこの道
だけが彼方なのであり、この意地
悪い大きな彫刻の表面に沿って
歩きつづけることではじめて、その
道程の刻みいちめんにマグノリアの
花は咲くのだということでもある。

見田宗介『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』(岩波書店)
 

宮沢賢治の美しい詩篇と、
見田宗介の美しい文章に触れ、
ぼくも「このでこぼこの道」が
彼方であることを確かめる。

3. 真木悠介『旅のノートから』(岩波書店)

真木悠介先生の life work(生の
ワーク)である『旅のノートから』。

次のような扉の詞が置かれている。


life is but a dream. 
dream is, but, a life.

真木悠介『旅のノートから』(岩波書店)

 

この扉の詞にはじまり、
「18葉だけの写真と30片くらいの
ノート」である。

真木悠介著作集ではなく、原本の
「表紙の写真」は、インドの
コモリン岬で、真木悠介先生が
撮った写真である。

この「コモリン岬」での話については、
後年、見田宗介の名前で出版された
『社会学入門』の中に収められた
「コラム コモリン岬」にてつづられて
いる。
とるに足らない話と言いながら、
とても感動的な話である。

この「ノート」は、真木悠介先生に
とっては、「わたしが生きたという
ことの全体に思い残す何ものもないと、
感じられているもの」であるという。

一葉一葉の写真が、
ひとつひとつの文章が、
一言一言の言葉が、
ぼくの内奥に深く響いていく。

「言葉に癒される経験」である。
繰り返しになるが、
言葉が身体的である。
言葉が生きているのだ。

 

ひどく疲れた日。
ぼくは、そっと腰をおろし、
これらの本をそっとひらく。

本の世界に、
静かな言葉の海のなかに、
そっとはいっていく。

いつしか、
言葉が言葉ではない世界に
ひきこまれていることを
感じるのだ。