「目新しいものはなにもない」と言わない・考えないための、3つの自問。 / by Jun Nakajima

ぼくもかつてはそうであった。

話を聞いたり、本を読んだりしてから、
それらの内容に新しいものがないと
「目新しいものはなにもない」と口にしていた。
「(誰それと)同じことを言っている」などと
そこで考えることをやめてしまうこともあった。

でも、いつしか、この言い方や考え方は
じぶんにとってよくないな、と考えるように
なった。
意味がないだけでなく、弊害を生む考え方で
ある。

この言い方や考え方は、
じぶんは「知っている」という立場にいる。
でも、問われるのは、
「ほんとうに知っているのか」ということで
ある。
また、知っているとして、それに沿ったように
何か「行動しているか」ということである。

「目新しいものはなにもない」という人の
多くは、そこで思考も行動もストップして
しまっていることが多い。

ぼくは、このように考えがちなときに
ぼくのマインドにうちかえす問いを即座に
はなつようにしている。

 

(1)ほんとうに「同じこと」か?

「同じこと」であっても、もう少しうがって
みてみる。
ほんとうに同じことであるのか。
同じことのどこに焦点をあてているのか。
同じことに辿りついた経験や体験は。
などなど、一見同じことにみえても、差異が
あったりする。

 

(2)「同じこと」の展開の仕方はどうか?

同じことであっても、本を出版していたりする。
同じことを、ブログで述べていたりする。
それでも、注目を集めたりしていることもある。
同じことであっても、展開の仕方を学ぶことが
できる。

 

(3)じぶんが行動しているか?

目新しいことではないと切り捨ててみたところで
じぶんは行動にうつせているのか問うてみる。

「こんな内容であれば、じぶんでも本を書ける」
と豪語したところで、じぶんは書いているだろうか。
同じことを言っていても、書いていても、その
発信者は少なくとも「行動」をおこしている。
人の差は、行動をおこす・おこさないの差であった
りする。

そして、行動をおこせていないときには、ほんとう
に内容を理解していなかったりする。
内容が「頭での理解」にとどまっている可能性がある。
理解は、頭だけでなく、心、そしてお腹にまで
おとしていくことが大切である。

 

世界は、情報技術の発展とともに、ますます
多くの人たちがじぶんの意見や方法を、
世の中に発信してきている。
目新しいこともあれば、これまで聞いていた
ことと同じ(ような)こともある。

そんなときに、じぶん自身に問い返したい。

そして、じぶんは理解できていても、
また、じぶんは行動していても、それらを
一歩先に踏み込んで、他者にひろげていく
ことも大切である。

だから、「目新しいものはなにもない」と
いう思考停止・行動停止の「呪文」は、
言わないことである。