香港は、ビクトリア湾を境に、
香港島と九龍・新界側にわかれて
いる。
Tsim Sha Tsuiは九龍側の先端に
位置し、香港島の美しい風景に
面している。
そのTsim Sha Tsuiに、「重慶大厦」
(チョンキン・マンション)が佇ん
でいる。
重慶大厦は、安宿が集合している
建物である。
主要道路であるネーザンロードで、
その存在感を放っている。
1995年7月15日。
ぼくは、はじめて、香港の地に降り
立った。
香港はまだ、イギリス統治下であっ
た。
ぼくにとっては、はじめての飛行機
による旅でもあった。
前年1994年の中国旅行は、
日本から/へフェリーを利用した
ため、はじめての飛行機による旅
であった。
バックパッカーたちの情報からは
重慶大厦は安宿として有名であった。
だから、ぼくも、重慶大厦を目指し
た。
もちろん、予約などせずに、飛び
込みでいくつもりであった。
香港空港は今とは場所が異なり、
住宅街に突如とあらわれる啓徳空港
であった。
その位置から着地が難しいなど、
当時はまったく知らず、スリリング
な着地は、機内で拍手を巻き起こした。
夜10時にさしかかるところであった。
香港は雨が降っていた。
入国審査に時間がかかる。
バスの路線がまったく理解できない。
不安だけがつのっていく。
外国人バックパッカー群が、
乗り降りするところで、ぼくも
乗り降りをする。
バスを降りると、
そこには「香港の街」が広がっていた。
雑多で喧騒の通りが、ぼくを迎えた。
コンビニや東急などの都会に様相に、
ぼくは安堵とともにがっかりした。
ぼくは、その香港の街を、バック
パックを背負って、さまよった。
2時間以上もさまよい、時計は
夜中の12時をすでに超えていた。
飛行機で隣りに座っていた日本人
夫婦は、すでにホテルに着いている
だろうかと、気にかかった。
宿探しに途方に暮れ、
マクドナルドで休憩することにした。
マクドナルドで座りながら、考える。
宿をあきらめ街をふらつくか、
もう一度探すか。
考えた末、ぼくはもう一度トライ
することに決めた。
新たな決心のもとに5分ほど歩くと
ぼくは、安宿があるエリアに戻って
きていることに気づいた。
「よし」と、力がわいてくる。
歩きに力が入る。ぼくは、そうして
「重慶大厦」の文字を見つけたのだ。
夜中の1時になろうとしているとこ
ろであった。
こんな時間に宿を見つけられるか
わからなかったけれど、
適当な安宿の前で、入り口のベルを
ならす。
誰もでてくる気配がなく、
ぼくは、あきらめと共に、引き返す。
それと同時に、ドアが開く音が響く。
宿の管理人と思われる、ヨーロッパ
系の女性が、ぼくを招き入れてくれた。
ぼくは拙い英語で、しかし興奮気味に
泊まりたい旨を伝えていた。
こうして、ぼくは、宿のドミトリーに
泊まることができた。
あれから、22年の歳月が流れようと
している。
こうして、香港に住み、重慶大厦を
眺める。
改装された重慶大厦は、今も、
そこに存在感を放っている。
そこに、ぼくは、香港の記憶を
めぐる。
香港にいながら、香港の記憶を
めぐる。
今となっては、はじめて香港に到着
した夜、どこの道をどうやって、
さまよっていたのか、わからない。
あのマクドナルドが、どこのマクド
ナルドだったのかもわからない。
ただ、ぼくは、確かに、この地に
降り立ち、さまよい、重慶大厦に
辿りついた。
それは、子供のとき、不安と興奮で、
裏山を「探検」したときと似ている。
大人になったとき、その裏山を
訪れると、探検という言葉には
似合わない程の場所であった。
でも、子供のときには、そこが、
ひとつの「大きな世界」であった。
そして、あの旅で、
ぼくは、香港に将来仕事で来る
ような「予感」を抱き、
ぼくは、今こうして香港にいる。