香港の重慶大厦(チョンキン・マンシ
ョン)の前で、ぼくは、22年前の
「ぼく」に出会う。
ぼくは、1995年7月15日、はじめて
訪れた香港の街をさまよった挙句に、
やっとの思いで重慶大厦に到着した。
2017年のぼくは、重慶大厦の前で、
バックパックを背負い、一人で、香港
や海外を歩いていた「ぼく」を見たのだ。
1995年のぼくは、このめくるめく香港
という「大きな世界」で、不安と興奮の
内におかれていた。
2017年のぼくは、1995年、どのように
このエリアを「さまよった」のか、
わからない。
ぼくには、ふたつの気持ちが湧き上が
った。
ひとつは、ドライに、こんな小さな空間
で、どうして迷ったんだ、という気持ち。
もうひとつは、1995年に感じた「大きな
世界」に今更ながら入りこみ、そこで
不安と興奮をかかえこむ気持ちである。
ふと、社会学者・見田宗介(=真木悠介)
の、鮮やかな文章が脳裏によみがえる。
その文章は、竹田青嗣の著書『陽水の
快楽』によせられた、見田の「解説」
であった。
見田宗介は、音楽家の井上陽水が
竹田青嗣にとってどのような存在で
あるのかを、こんな風に表現している。
『招待状のないショー』(1976年)
の絶唱「結詞」に至る陽水の仕事の
うちに竹田が聴くのは、つぎのような
ことだ。
青春の夢を必ず訪れる挫折をとお
して、「ひとは、憧憬や感傷や理想
を奥歯で咬み殺すリアリストになる。
陽水にもその痛恨が滲みなかった
はずがないが、彼は自分の中の
リアリストの方を噛み殺したのだ。」
夢から醒める、ということが、
感動の解体であるばかりでなく、
いっそう深い感動の獲得でもある、
というところにつきぬけていく力
として、陽水は竹田にとってある
ようにぼくにはみえる。
見田宗介「夢よりも深い覚醒へ
ー竹田青嗣『陽水の快楽』」
『定本 見田宗介著作集X』所収
この「解説」は、「人生の生き方」
を変える力をもつ文章である。
少なくとも、ぼくは、この文章に
心から共感し、励まされてもきた。
2017年のぼくは、1995年の
「ぼく」に向かって、したり顔で
「香港の街は知っているよ」と、
声をかけたくなる。
けれどもぼくは、「心の深い地層」
では、あの「大きな世界」で、
不安と興奮が呼び覚まされている。
「夢よりも深い覚醒」へ。
2017年に「重慶大厦」の前で
出会った1995年の「ぼく」は、
2017年のぼくを、夢よりも深い
覚醒に、いざなってくれたように
ぼくは感じている。
ぼくは、リアリストの方を
噛み殺したのだ。