Tim FerrissのPodcastを聞いていたら
「reactivist」から「activist」へと
いう言葉が彼の口から出てきた。
面白い言い方だなと思う。
人はとかく、「reactive」になりやすい。
何かが起きてから、それに「リアクショ
ン」を起こす。
常に「反応的」になってしまう。
でも、この「現代という時代の過渡期」で
は、「activisit」のごとく、積極的な、
世界への働きかけが重要だ。
(「活動家」ということだけれど、ここ
では、ぼくは、政治的な意味合いは
「脱色」している。)
そして何より、自分の人生に対して
「reactivist」ではなく、
「activist」であることだ。
Podcastを聞きながら走っていて、
そんなことを考えていたら、
ぼくが修士論文を書いていたときの
ことを思い出した。
経済学者アマルティア・センの一連の
仕事を追っていくなかで、ぼくはひとつ
のことに気づいた。
それは、センの人生の前半の仕事は、
どちらかというと「アンチテーゼ的な
仕事」であったということ。
つまり、これまでの厚生経済学への
批判を展開していたのだ。
センは、その後、特に「潜在能力アプ
ローチ」という自身の理論を軸にして、
積極的な仕事を展開していく。
言い方を変えると、積極的な転回が、
「潜在能力アプローチ」に結実していく。
いわば「アンチテーゼ」から「テーゼ」
への移行であった。
(ちなみに「潜在能力アプローチ」は
国連開発計画の「人間開発指数」の
理論的バックボーンだ。
経済成長だけではない成長の「評価
指標」を提示した。)
「アンチテーゼ」から「テーゼ」へ。
このことを、違った仕方で、ぼくは
村上春樹の仕事から学んでいた。
村上春樹は、アメリカに滞在中、河合隼雄
との対談の中で、
「デタッチメントからコミットメント」
ということを話している。
村上春樹の仕事が、社会からデタッチして
いくものから、社会にコミットメントして
いくものへと変遷していく。
(加藤典洋の著作『村上春樹は、むずかし
い』も、このあたりのことを書いている。
すばらしい村上春樹論であり、内容はそれ
にとどまらない。)
村上春樹の初期作品から読んでいくと、
そのことはよくわかる。
「reactivist」から「activist」へ。
「アンチテーゼ」から「テーゼ」へ。
「デタッチメントからコミットメント」へ。
世界や社会や他者、そして(深い意味で)
自分に向けられた「否定」「批判」など
が、ある時点で、積極的に、転回される。
「否定」や「批判」が、新しい理論や
考え方、生き方を軸に、積極性に転回され
ていく。
ぼくも少なからず、そんなプロセスを
生きてきた。
これから、もっと積極的に、転回して
いきたい。
「人生のactivisit」として、積極的に。
それは、きっと、社会へのコミットメント
をはらむ転回だ。
追伸:
黄昏時の「オレンジ色の街灯」は、
ぼくの記憶から、いろいろな風景を
思い出させる。
例えば、東ティモール。
エルメラ県の山(コーヒー農園は
山間地にある)から首都ディリに
向かう中で、ぼくが乗っている車両は、
オレンジ色の街灯の中を降りていった。
ここ香港で走りながら、「オレンジ色
の街灯」が、ぼくの頭上で静かに灯り、
その風景の中で、ぼくは上記のような
ことを考えた。