言葉が言葉としての力を取り戻していくことに向かって。 / by Jun Nakajima


作家・村上春樹は、
川上未映子によるインタビューの中で、
デビュー当初に、社会的発言をして
こなかった理由として、
学生運動の時期に「言葉が消耗されて
無駄に終わってしまったことへの怒り」
を語っている。

小説家だから「社会的発言」をしなく
てもよい、とは考えていない村上春樹
は、この世界の状況の中で、
「社会的発言」の方法を模索している
ことに触れている。

 

…かつてよく言われたような、「街に
出て行動しろ、通りに出て叫べ」と
いうようなものではなく、じゃあどう
いった方法をとればいいのかを、模索
しているところです。メッセージが
いちばんうまく届くような言葉の選び
方、場所の作り方を見つけていきたい
というのが、今の率直な僕の気持ちで
す。

『みみずくは黄昏に飛びたつー
川上未映子訊く/村上春樹語るー』
(新潮社)

 

この「模索」は、言葉が言葉としての
力を失ってきた世界では、容易では
ない。

そして、深くほりさげられた思想も
どこかで「通俗化」されてしまうよう
な磁場の中に、ぼくたちはいる。

社会学者・見田宗介は、このように
ひとつの論考を書き始めている。

 

どんな思想も、通俗化という運命を
逃れることができない。制度として
の「仏教」とか「キリスト教」、
通俗の語彙としての「プラトニック
・ラブ」とか「エピキュリアン」、
公式化された「マルクス主義」とか
「フロイト主義」…。…これらの
ものは、…第一義的には、それぞれ
の社会現象である。…それぞれの
思想者の名前を呼びよせ、ある特定
の方向に一面化し、単純化し、平板
化することを愛好し、必要とさえす
る力は、時代時代の社会の構造の力
学の内に根拠をもっている。思想が
大衆をつかむのではなく、大衆が
思想をつかむのである。

「声と耳 現代文化の理論への助走」
『岩波講座 現代社会学:現代社会
の社会学①』

 

ひとつの思想を、その深みにおりて
読み、理解することがなされないま
まに、それは「通俗化」されていく。
社会的発言は、社会の力学に絡め
取られてしまう。

このような力学を敏感に察知する
村上春樹は、より直接な社会的発言
を、なかなか出せずにきている。

ただし、村上春樹がいくつかの受賞
式という、世界の注目が集まりやす
い場で、社会的なメッセージを、
受賞スピーチに、丁寧にのせる形で
行ってきたことが、みてとれる。
「通俗化」の網を、すりぬけるよう
な言葉が、丁寧に選びとられている。

それでも、社会の力学は強力である。
言葉が言葉としての力を取り戻して
いくためには、この「社会の力学」
を組み替えていくことが、方法の
ひとつである。

社会とは「関係」のことである。
関係がくずれている社会には、
言葉はただくずれていくだけである。
関係の深さが言葉の「真実さ」を
つくり、あるいは逆に支えられる。

ただし、「社会」といっても、
それは見ることもできない。

ぼくたちが、その関係性をつくり
あるいは取り戻していく起点は、
「交響圏」「親密圏」などと言われる
圏域からである。

家族であり、友人であり、親密な
集まりである。
これらの関係を日々、豊饒に生きて
いくこと。

そのことが、言葉が言葉としての力を
取り戻す土壌を、つくっていくのだと
ぼくは思う。