「書くこと」を、ぼくが積極的にするようになったのは、20年ほど前、日本の外を旅し、生活をしはじめたときであった。
日本の外を旅し、また生活するなかで、それらの経験の核が身体に蓄積し、言葉という形で表出され、生成され、そして探索された。
その折に出会った、社会学者である見田宗介先生(ペンネーム:真木悠介)の「文章」に、ぼくの心身は開かれた。
言語はその限界をもつことはわかりつつ、その可能性を感じることができたのだ。
それは、見田宗介が言う「メタ合理性=合理性の限界を知る合理性」と同じように、「メタ言語性=言語性の限界を知る言語性」のようなものだ。
「書くこと」は、その限界と危険性を内包しつつも、それでもこれまでの世界を切り拓いてきた原動力のひとつである。
ただし、「書くこと」の可能性を最大限にひきだすような「何か」が必要である。
その「何か」について、見田宗介=真木悠介先生から、ぼくが学んだことの内、ここでは5つを取り上げて書こうと思う。
それらが、ぼくを惹きつけてやまない文章の、魅力である。
その前に、見田宗介の文章の一部を引いておきたい。
学術論文として、「近代のあとの時代」を書いた文章の最終節、「高原の見晴らしを切り開くこと」の冒頭である。
近代に至る文明の成果の高みを保持したままで、高度に産業化された諸社会は、これ以上の物質的な「成長」を不要なものとして停止し、永続する幸福な安定平衡の高原(プラトー)として、近代の後の見晴らしを切り開くこと。
近代の思考の慣性の内にある人たちにとっては、成長の完了した後の世界は、停滞した、魅力の少ない世界のように感覚されるかもしれない。
けれども経済競争の脅迫から解放された人類は、アートと文学と思想と科学の限りなく自由な創造と、友情と愛と子供たちとの交歓と自然との交感の限りなく豊饒な感動とを、追求し、展開し、享受しつづけるだろう。…
見田宗介「現代社会はどこに向かうか(二〇一五版)」『現代思想』2015, Vol.43-19
1)論理・ロジックの徹底
ぼくが学んだこととして、そして魅力のひとつとして、論理・ロジックがまず挙げられる。
とりわけ、3つの面である。
・全体の論理構成
・ひとつひとつの分析や論理展開
・むだのない文章
全体構成として、一冊の書籍があるとすると、それがひとつの完璧なロジックでつくられた小宇宙のようである。
真木悠介『時間の比較社会学』や『自我の起原』の最終章は、「まとめ」が書かれているけれど、全体の論理を再度まとめていく仕方は徹底している。
そして、ひとつひとつの章や節などで展開される分析と論理も、その徹底さゆえに、批判のつけどころがない。
そして、そのようにして、削ぎ落とされた文章にはむだがない。
だから、見田宗介=真木悠介の文章を「要約」するのは、極めてむずかしい。
すでに「要約」されているほどに削ぎ落とされて書かれているからだ。
2)一文字・一文に「賭けられた」論理
さらに、一文字や一文の論理や展開も研ぎ澄まされている。
上記の文章においても、「…感動とを、追求し、展開し、享受し」と、論理・展開がありうる動詞が並記されている。
また、1)ともつながるけれど、一文字、一文、一段落をとってみても、その「背後」には、見田宗介=真木悠介がこれまでにつみあげてきた論理がひかえている。
見方を変えると、ひとつの文章を述べるために、(それ以前に)一冊の本が書かれていたりする。
一文字・一文に「賭けられた」論理は、そこに、また小宇宙を内に宿している。
3)文章の「美しさ」、独自の文体
見田宗介=真木悠介の文章は、論理だけではない。
その「美しさ」が人を惹きつける。
「美しさ」を解凍してみる。
ひとつには、イメージをよぶような「詩的な言葉たち」が散りばめられている。
上記の文章でも、例えば、「高原(プラトー)」がおかれる。
ふたつめに、美しさは「身体性」に接続されている。言葉が身体的なのだ。
身体的であるということは、そこに「リズム」があるということでもある。
村上春樹が文章を書く際に「リズム」をもっとも大切にするというが、見田宗介=真木悠介の文章も、そこに彼の「リズム」がきざまれている。
みっつめに、「息の長い」文章である。
見田宗介=真木悠介が書く「一文」は、長いことが多い。
現代では「文章は短く簡潔に」と教わるが、彼の文章は逆に長い。
見田宗介=真木悠介は、息の短さと文章の短さについて、インタビューか何かで、ふれている。
だから、彼は、意図的に、息の長い文章を書いている。
そこに、生き方がこめられている。
こうして、「独特の文体」ができあがり、見田宗介=真木悠介が刻印された文章となる。
4)生きられた文章、生きられた問い・情熱・肯定性
見田宗介=真木悠介の文章の「美しさ」は、それが生きられた文章だからである。
生きられた文章であることとは、そこに、生きられた問いや思い、情熱などが、いっぱいにこめられていることである。
それらが、文章のなかで、静かに、つたわってくる。
そして、見田宗介=真木悠介の文章は、「肯定性」に彩られている。
「人が正面から見ることのできないものは、死ではなく、生である」と語る、彼のどこまでもひろがる肯定性が、文章の地層をおおっている。
そうであることで、それは「生成力」のある文章だ。
他者たちのなかに、問いや思い、情熱や肯定性を、生成していく文章である。
5)なんども恥と悔恨を飲み下すこと、繰り返す転回
見田宗介=真木悠介は、このような文章に、容易に、到達したわけではない。
なんども恥と悔恨を飲み下しながら、獲得していった「文体」である。
文章を書く過程で、なんども「書いたものを捨て去る」という転回の経験を繰り返してきたことを、彼は語っている。
「文体」における巨大な転回は、1970年代半ばの「旅の前後」である。
それまでの、抽象的でイメージのわかない文章から、具体性のともなった美しい文章に、字義通り、生まれ変わった。
その作品が、真木悠介名での名著『気流の鳴る音』であった。
極めてきたものにしか書けない文章が、そこには確かに、存在している。
ぼくは、これらの「魅力」に深く惹かれつづけ、そして学びつづけている。
日本にいたときも、西アフリカのシエラレオネでも、東ティモールでも、そして、ここ香港においても、ぼくの横にはいつも、見田宗介=真木悠介の著作が置かれている。
それら著作をひらくと、そこにはやはり、美しい文章たちがひろがっている。
そこに眼を投じ、文章の小宇宙のなかに入っていくと、ぼくの眼の前の「世界」は、肯定性の光に照らされ、美しさを放つのだ。