社会学者「見田宗介=真木悠介』先生
による、朝日カルチャーセンターの
「講義」(2001年3月24日)で、
ぼくは、たくさんのことを学び、
そして、さらに見田宗介先生に質問を
させていただいた。
見田宗介先生の応答が、15年以上経過
した今も、ぼくを触発し続けている。
講義「宮沢賢治:存在の祭りの中へ」
で、見田宗介先生は、
日本の1960年代から2000年に至る
「社会の変遷」について語った。
日本の社会は、次の変遷を遂げてきた。
・共同体(Gm=「ゲマインシャフト」)
・近代市民社会
(Gs=「ゲゼルシャフト」)
・今後は「XXXXX」?
*コンセプトは「共同体の彼方」
(GmのかなたのGm)
日本の「共同体」が解体され、
「近代市民社会」が創成される。
そして、自由と孤独を獲得した個人・
社会が、次なる「共同体の彼方の共同体」
をつくりだしていく。
(後年、見田宗介先生は、
『定本 見田宗介著作集VI
生と死と愛と孤独の社会学』岩波書店、
などで、論考をまとめている。)
講義が一通り終わったところで、
質問をする時間がもうけられた。
ぼくは当時、「質問すること」を
自分に課していたと記憶している。
そうすることで、ぼくの集中と問題意識
が高まるからだ。
ぼくの質問は大枠はこのようなもので
あった。
「社会は、近代市民社会の段階を、
必ず通過しなければならないか?」
ぼくの質問の背景には、
日本(の社会)の発展と重なる形で、
「発展途上国の社会」が存在していた。
大学院で、発展途上国の発展・成長、
そして国際協力を学ぶ中で、
発展途上国が日本と同様な「経路」を
進んでいかなければならないのか、
について、ぼくは考えてきていたからだ。
「近代化」による共同体の解体は、
自由をもたらしてきたと同時に、
限りない弊害を社会にもたらしてもきた。
そこで、ぼくはこのような「質問」を
見田宗介先生に投げさせていただいたのだ。
見田宗介先生は、しばしの間、思考され、
それから、概ね次のような応答をされた。
「Yesと同時にNo。
先進国の経験に学ぶことで通過しないと
いうことも理論的にはありうるが、
現実としては理念ではなく経験として
通過する必要がある。」
見田宗介先生が思考される「沈思」に、
ぼくは緊張と畏れと興味を覚える。
そして、見田宗介先生の真摯な応答を、
全身を耳にして聞く。
見田宗介先生の「応答」は、
ぼくの「実践の場」で絶えず姿を現して
くることになる。
その後、ぼくは、大学院を修了し、
西アフリカのシエラレオネと東ティモ
ールの「社会」で、国際NGOの一員と
して、現実と実践の場に置かれる。
内戦が長きに渡り続いた両国で、
紛争後の社会という、圧倒的な現実の
中に、ぼくは投げ込まれる。
理論や理念などが拡散して消えてしま
うような現実の中である。
それでも、というより、だからこそ、
ぼくは理論や理念を大切にしてきた
ところがある。
シエラレオネ、東ティモールでも、
ぼくは見田宗介=真木悠介先生の本を、
いつでも横に置き、時折本を開いた。
「大切なこと」を忘れないように。
見田宗介先生の応答にあった、
「理論的には…」
というくだりが、ぼくにはついて回った。
社会も、それから個人も、
頭ではわかっていたとしても、
(程度の差はありつつも)やはり「経験」
を通過することが必要なのではないかと
時を重なる中で思うようになっていった。
しかし、それと同時に、
「理論・理念」と「現実・経験」の間で、
思考し、苦慮し、失敗を繰り返しながら
精一杯やっていくことの大切さを、
ぼくは学んできたのだと思う。
その「間」における、
行ったり来たりの繰り返しの中で、
生きてくるものがあるのだということ。
そして、これからも、
「理論・理念」と「現実・経験」、
この「間」での生を、ぼくは引き受けて
いこうと思う。
それにしても、
見田宗介=真木悠介先生に、
次回お会いする機会があるとしたら、
ぼくは「どんな質問」をさせていただこう
かと、思考の翼をはばたかせている。