「居心地の悪い場所」に身をおくこと。- 「問い」の生まれる場所。 / by Jun Nakajima

ぼくは、西野亮廣の著作『魔法のコンパスー道なき道の歩き方』を読みながら、さまざまに触発される。

西野は、日常に「問い」をすくいあげ、問いを裂開し、「答え」を実践的に生きる。

そんなことを、ぼくは抽出して、「存在そのものが『質問』になっている人」(西野亮廣)ということを書いた。

「問題解決」にまつわる大切なことが、いろいろに語られているからである。

「問い」に関して、もうひとつ書いておきたい。

西野亮廣は、「問い」を見つける方法を、次のように書いている。
 

…人生を賭けるほどの「問い」を見つけるには、居心地の悪い場所に立つ必要がある、というか居心地の悪い場所に立ったほうが「問い」が見つかりやすい。

西野亮廣『魔法のコンパスー道なき道の歩き方』主婦と生活社
 

「居心地の悪い場所」に身をおくこと。

人は往々にして「居心地の悪い場所」を避けようとするけれど、実はそこに「問い」という財宝がねむっている。

西野は、「やりたいことが見つからない」という相談には、次のように応答する。
 

 僕は、「やりたいことが見つからない」という相談を受けた時には必ず、「僕なら、3キロのダイエットをして、その体重を維持してみるよ」と返すようにしている。…

西野亮廣『魔法のコンパスー道なき道の歩き方』主婦と生活社
 

「居心地のいい場所」について、西野は、すでに誰かが解決してくれた場所だという。


ぼくも、「居心地の悪い場所」に身を置き続けてきた。

そして、そんな「場所」から、「問い」をひろいつづけ、考えては行動して、うまくいくこともあれば、うまくいかなかったこともある。

ぼくは、「やりたいこと」や「行きたいところ」を透明においつづけていたら、「居心地の悪い場所」に身をおいていた。

東京に住むことを望んで東京にある大学に行き、はては、東京におけるぼくの生活の「居心地の悪さ」になげこまれた。

アジアへの旅を望み、アジアに出てみたら、そこは決して居心地のいい場所とは言い切れないところで、ぼくはたくさんの「問い」を持ち帰った。

そんな「問い」のひとつを透明に追い、途上国への国際支援を仕事として望み、飛び込んだ世界は「居心地の悪さ」でいっぱいであった。

例えば、西アフリカのシエラレオネでは、内戦が終了してまもなく、内戦に翻弄されてきた人たち/内戦に翻弄されている難民の人たち、戦争の傷を身体や精神に負う人たちに囲まれながら、そして社会の不安定さのなかで、ぼくは「問い」の嵐にまきこまれていた。

独立後、平和を保っていた東ティモールでは、2006年、不満が騒乱となり、首都ディリの街中で銃弾が飛ぶ状況に、ぼくは置かれた。

未だに、当時の「問い」に(自分なりに)答えられていない。

こうして、文章にしながら、「問い」のなかに、問いを裂開するような「解決」をさがしている。
 

西野亮廣なら、そんなぼくにたいして、「天然でボーナスステージに立ってんじゃん」(前掲書)と言うだろう。

ゲームで言えば、「問い」に囲まれるぼくは、確かに「ボーナスステージ」に来ている。

さらに、ぼくは、生きることの次なるステージの最初の迷路のなかで、「居心地の悪い場所」だらけだ。

これが「ボーナスステージ」でないわけがない。

この「ボーナスステージ」で、ぼくはたくさんの「問い」を得ている。

そして、それらの「問い」にひそむ、問いを裂開する拠点に足場を置いて、現代という時代を次の「名づけられない革命」(真木悠介)の時代につなぐという仕事に、ぼくの人生は賭けられている。