日本の伝統芸能である「能」が、650年にわたって「続いてきた理由」とはなにか、「それを可能にしているものはなにか」と問いながら、能楽師の安田登は、「初心」と「伝統」であると、ずばり答えている。
そのうちの「初心」について、能を大成した世阿弥が記した「初心忘るべからず」にふれながら、安田登は「初心」という言葉を使ったのは観阿弥・世阿弥が初めてではなく、しかし、世阿弥はこの「初心忘るべからず」を繰り返すこと、「初心」の精神を能の中に「仕掛け」たことを書いている(安田登『能ー650年続いた仕掛けとはー』(新潮新書))。
精神論にとどまらず、<初心の仕掛け>を能に施すこと、そこに能の650年にわたる存続を見ている。
「初心忘るべからず」という言葉が、観阿弥・世阿弥にとって、現在一般に使われるような「初々しい気持ち」という意味で使われていなかったことは、世阿弥の書き記したものからはもちろんのこと、いろいろな人たちが教えてくれている。
このトピックだけでも、語って尽きないものである。
だから、安田登は「初心」という言葉の意味に焦点をあてながら書いているが、それはとてもクリアなイメージと意味を与えてくれる。
初心の「初」という漢字は、「衣」偏と「刀」からできており、もとの意味は「衣(布地)を刀(鋏)で断つ」。すなわち「初」とは、まっさらな生地に、はじめて刀(鋏)を入れることを示し、「初心忘るべからず」とは「折あるごとに古い自己を裁ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない、そのことを忘れるな」という意味なのです。
安田登『能ー650年続いた仕掛けとはー』(新潮新書)
「まっさらな生地に、はじめて刀(鋏)を入れること」のイメージは鮮烈である。
このイメージをつかんでおくことで、「初心忘るべからず」の意味も、そしてその言葉の正しい解釈ということ以上に、ぼくたちが生きていくなかで、ぼくたち自身の言葉とすることができる(「格言」は他者に向けられると説教じみて苦しさを感じることがあるけれど、それがじぶんによってじぶんとじぶんの生に向けられるときに、生きてくる)。
「初」の鮮烈なイメージと意味をおさえたうえで、安田登は、つぎのように書いている。
…固定化された自己イメージをそのまま放っておくと、「自己」と「自己イメージ」との間にはギャップが生じます。現状の「自己」と、過去のままにあり続けようとする「自己イメージによる自分」との差は広がり、ついにはそのギャップの中で毎日がつまらなく、息苦しいものになる。そうなると好奇心もうすれ、成長も止まってしまいます。人生も、その人間もつまらないものになっていくのです。
そんなときに必要なのが「初心」です。古い自己イメージをバッサリ裁ち切り、次なるステージに上り、そして新しい身の丈に合った自分に立ち返るー世阿弥はこれを「時々の初心」とも呼びました。
また、「老後の初心」ということも言っています。どんな年齢になっても自分自身を裁ち切り、新たなステージに上る勇気が必要だと。安田登『能ー650年続いた仕掛けとはー』(新潮新書)
「つまらなさ」は、ぼくは、人にとってもっとも大きな「敵」のひとつだと考える(人は、「つまらなさ」よりも、「不幸」を選ぶというようなことが、ほんとうにあるのだと思う)。
そんな「つまらなさ」を「バッサリ裁ち切る」イメージが鮮烈に書かれている。
そのイメージと意味がもたらすのは、不安や迷いであろう。
安田登は、「老後の初心」の厳しさ、つまり、これまでの過去の達成などが忘れられず、じぶんの生の限りも見えてくるなかで、自己を「裁ち切る」ことなどしたら、「本当にもう一度変容し得るのだろうか」と迷うだろうことに言及している。
そして、それでも裁ち切る、のだということ。
ぼくは読みながら、「人生100年時代」において、これはとても大切なことではないかと、安田登の言葉に共振する。
「老後の初心」の「老後」は、今の時代の時間軸の文脈で、読み方の仕方を若干変更する必要がある(現代社会における「老後=定年後」的なイメージから自由になる必要がある)。
「人生100年時代」という時間軸において、「初心忘るべからず」という、<初心の仕掛け>をどのようにじぶんの人生に組み込んでゆくのかが、今問われていることである。