香港のとあるフードチェーンのお店に出かけてゆき、そこでお粥を注文します。
これまでに幾度か、行くたびに「小さなドラマ」が起こるので、今日はそのお話です。
その前に「お粥」についてですが、日本ではお粥は調子が悪かったりするときに食べるものですが、ここ香港ではお粥は日常の食事のなかに溶け込んでいます。
「麺と粥」の双方をメニューに組み込んでいるレストラン・食堂が、香港のいたるところにあって、なかにはだいぶ昔からたたずまいを変えずにきているお店も見られます。
「麺」も「粥」も、それらをベースとし、さまざまな具やトッピングをほどこすことによって、メニューに掲載される数は一気にひろがりをみせることになります。
お粥では、肉類を選んだとして、ひき肉もあれば、レバーなど内臓系もあれば、肉団子もあればと、かなりのひろがりをみせるわけです。
それらが、日常の食事の選択肢として、香港の街のなかに不可欠的に存在しています。
そんな選択肢を、ときにぼくは選びとります。
「ときに」は、「それほどお腹は空いていないけれど、食べないのもよくないし、食べるなら温かいもの」と思うときだったりします。
そうして、とあるフードチェーンのお店まで出かけていって、お粥をテイクアウトで注文するわけです。
入り口の壁にあるメニューから選んで、そこでまず注文し、お金を払います。
それから、レシート兼引換券をもらい、そこに記された番号がよびだされるまで待ちます(テイクアウトでなければ、カウンターにならんでオーダーが出てくるのを待つか、あるいは時間がかかるオーダーであればやはり番号がよびだされるまで待ちます)。
注文したお粥ができるまで、少し時間がかかるのは、もちろんプロセスがあるからです。
何時間も煮こんである白粥は大釜のなかで、ひきつづき絶えることなく、ふつふつと音をたてているのですが(この白粥の煮こみ具合が半端なく、お米の原型をとどめないほどに「とろとろ」となる)、注文が入ると、必要な量の白粥が小さな鍋にうつされ、そこで各種の具と一緒になって、さらに火が加えられることになります。
火が充分にとおると、器にいれられ、そのうえにネギやらなんやらのトッピングがされて、できあがります。
そんなこんなで、いつも、ぼくはお粥を注文し、手に食券を片手に、ときにお粥が準備されるのを眺めながら待ち、そして出来あがると店員さんにテイクアウト用につつんでもらって、家に持ち帰ります。
ある小さなドラマは、「仕方ないなぁ」ではじまりました。
家に帰って、とりわけるときに、注文したものと違う「具」が入っているのを見つけたのでした。
今さらお店にもどるのもたいへんなので、そのままいただきました(どこかの誰かはもしかしたら、ぼくが注文したお粥を食べているのだろうと思いながら)。
小さなドラマは続きます。
やはり「それほどお腹は空いていないけれど、食べないのもよくないし、食べるなら温かいもの」と思って、お店に出かけてゆき、前とは異なるお粥を注文しました。
お粥が出来あがって、店員さんがテイクアウト用につつもうとしてくれているときに、ある女性がぼくの近くにやってきて、お粥が載ったトレーを指差しながら、なにかしゃべりはじめました。
よくわからないままにぼくは自分の番号通りにお粥をうけとったのだと説明したのですが、どうやら、彼女のお粥が、ぼくのトレーに間違って載せられているのだということで、ぼくは中身がよくわからないままに、彼女のトレーのお粥ととりかえたのでした。
お礼を伝えて家への帰路で、それにしても容器の中身がほとんど見えないのにどのように見分けたのだろうと思ったのでしたが、家に着いてとりわけるとき、彼女が正しかったことを再確認しました。
このお店では小さなドラマが続くなぁと思っていたら、小さなドラマはまた続くのでした。
別のお粥をテイクアウトで注文して、いつものように、出来あがるのを待ちながら、引換券をふと確認していたら、どうやら、テイクアウト用に注文が通っていないことに気づいたのでした。
気づいたときにカウンターにあがってくる番号を確認すると、ぼくのお粥は出来あがっていて、また他の料理がまもなく出来あがるところで、ぼくはカウンターごしに、「これはテイクアウトで頼んだのです」と急いで伝え、なんとかテイクアウト用の容器に入れ替えてもらうことができました。
夕食時で店内は混乱ぎみのなか、店員さんたちも余裕がなくなって(見たところ)機嫌を損ねはじめていたところでもあり、ぼくは笑顔でお礼を伝えたのでした。
これら「小さなドラマ」は、要は店員さんが「お粥を置き間違った」だけだったりするのですが、立て続けに3回続き、少し考えてしまうわけです。
そんなことを考えていて、20歳前後のころ、アジアを旅しているとき、「出来事は向こうからやってくる」ように感じたことを、ぼくは思い出します。
ふつうに旅をしていても、なにかが起きたりして、旅の日々が「小さなドラマ」に彩られるわけです(いろいろな色合いで彩られるのですが)。
日本にいるときは、ふつうに暮らしていて、ふつうに日々がすぎてゆくなかで、アジアの旅の「小さなドラマ」は向こう側からやってくるように、ぼくは感じたのでした。
今でこそ「ふつう」のなかにもさまざまな色彩があって、その色彩の現れ方はそれを経験する側の「見方」や「経験の仕方」によってくるのだと思うのですが、それでも、アジアの旅をふりかえったとき、普段とは異なる仕方で、いろいろな人や異文化との接点において「小さなドラマ」がむしろあっち側からやってきたように感じるのです。
そして、香港での、なんでもない日々に、ただお粥を買いに行くということだけのなかに「小さなドラマ」がやってくることを、ぼくは経験しています(うがってみれば、ぼくがそのような現実をひきつけているだけなのだとも言えるのですが、まぁ、なにはともあれ、さすがに3回続くと、考えてしまうのです)。