🤳 by Jun Nakajima
心理学者・心理療法家の河合隼雄は、講義録である著書『こころの最終講義』(新潮文庫)にて、ユングの「コンステレーション」(constellation)という言葉をたよりにユングや自身のカウンセリングについて語っている。
また、前掲書に掲載されている、これとは別の講演で、河合隼雄は「リアライゼーション」(realization)という言葉をとっかかりとして、「物語と心理療法」について聴衆に語りかけている。
「コンステレーション」も「リアライゼーション」も、共に日本語にしにくい言葉であり、河合隼雄はカタカナ表記をすることで、日本語の意味合いにからめとられないように、丁寧に語っている。
「リアライゼーション」という言葉を使うことについて、河合隼雄は講演の冒頭で、次のように述べている。
…この英語はいい英語だと思っているからです。それは「何かがわかる、理解する」という意味と「何かを実現する」という意味との両方をもっているのです。
つまり、われわれが生きているということは、自分が実現しているということと、わかっているということを両方うまくやっているのだと思うのです。それがまさにリアライゼーションであって、個人は生まれてきたかぎりはなんらかの意味で個人としてのリアライゼーションをするのではないか。それが残念ながらなにかの理由でうまくっていないのではないか。河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫
ぼくも、この「リアライゼーション」という英語はいい英語だと思っている。
その動詞形は「リアライズ」(realize)で、河合隼雄がふれているように、「理解する」ということ(「気づく」に近い)と「実現(現実化)していく」という、この言葉の二重性は、この言葉に深みを与えている。
気づきと実現が共にあるようなところに、いろいろな物事はひらいていく。
河合隼雄は、心理療法という実践において、「個人としてのリアライゼーション」に焦点をあてながら、真摯に来談される方々に向き合ってきた。
そして、河合隼雄は、そこに「他人との関係」という関係性の視点を大切にする。
…私が何かをリアライズするということと私の周囲の人たちが何かをリアライズするということが全部重なってきますので、たんに自分のことだけを考えていたのでは、それはどうしてもできない。つまり他人との関係を無視することはできない。だから、われわれ心理療法をしているものは、自分の前に座られた方のリアライゼーションということを考えるわけですが、その方を取り巻く周囲の状況、あるいはなによりも治療者自身のリアライゼーションも考えて行わねばならないということだと思います。
河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫
来談にくる方々だけではなく、「治療者自身のリアライゼーション」への透徹した視点を、河合隼雄は身にひきうけている。
そして、このことは心理療法ということに限らず、他者とのかかわりがある、さまざまな場において大切なことだと、ぼくは考える。
河合隼雄は、心理療法をするものが、「知識をもっているということ」(リアライズの意味合いのひとつである、理解すること)に加え、自分が「体感として知っている」(自分が実現して知っている)ことが重要なことであると語っている。
リアライズということでの「理解」は、ぼくとしては、すでにそこに「体得」が感じられているものだと思うけれど、それは些細なことだ。
ここには、「身体性」の問題がきっちりと提示されていることに、ぼくは焦点をあてておきたい。
講演は、この導入に続いて、個人のリアライゼーションと「物語」という、関心の尽きないトピックにはいっていく。
哲学者の坂部恵『かたり』(弘文堂)を参照に「語る」ということの次元にまでおりながら、また日本人の自我、物語と自然科学にいたるまで、きわめてインスピレーションに充ちた内容を展開している。
河合隼雄が生前に残してくれた言葉たち。
ぼくがこれまでに読んだのはそれらのほんの一部であり、河合隼雄の<思考の大海>を前に、その出会いにぼくはただ歓びを感じるだけである。