じぶんの周りで起こっていることと、じぶんの内面をつなげて、観る。- 「360度、全方位的に『人生のヒント』」(心屋仁之助)。 / by Jun Nakajima

心理カウンセラーである心屋仁之助の著作『心屋仁之助のそれもすべて、神さまのはからい。』(三笠書房、2017年)では、これまでの心屋仁之助の語ってきたこと(じぶんで実践・実験してきたこと)が、現時点において、集大成的にまとめられている(ように、ぼくは読んだ)。

「前者/後者論」についても、冒頭から触れられている。

本の後半、第4章「「言葉に出せる」人は、強い」の「6「あなたの耳に引っかかる話」が教えてくれること」において、「360度、全方位的に「人生のヒント」がある」ということを、心屋仁之助は語っている。

 

 あなたの耳に引っかかる話があるなら、それは、あなた自身が心の中で思っているけれど、そのことに気づいていないよというサイン。無意識のうちに「他人の口」を借りて、自分の思っていることを主張しているということです。
 そう考えると、僕たちの日常生活は、360度、全方位的にヒントだらけです。全部、自分から出ている言葉ですから、悪意などはどこにもありません。
 あるとしたら、自分に対する悪意だけです。…

心屋仁之助『心屋仁之助のそれもすべて、神さまのはからい。』(三笠書房、2017年)

 

「耳に引っかかる話があるなら、それは、あなた自身が心の中で思っている」ことというのは、心屋仁之助じしんが別の言葉で言うように、「自分が考えていることを、自分の近くにいる人の口からしゃべらせる」という、ぼくたちのする「奇妙なこと」である(※前掲書)。

この視点と世界の見方は、とても大切であると、ぼくも思う。

 

近代的自我は、その生成の本質において、「自我」をそれ自体、独立したものとする。

それは、個人と集団という切り分け方だけでなく、じぶんと周りの「世界」に起きていることを切り離す。

外部のことは外部で起きていること、じぶんの心の内面のことは内面のこと、というように。

『7つの習慣』(Stephen R. Covey)における「パラダイム」も、あるいは「外向きのマインドセット」(The Arbinger Institute)も、あるいは経済学者・内田義彦の教える社会科学も、<外部のこと>と<内部のこと>をつなぐものである。

そのように、<外部と内部がつながる世界>を俯瞰して観ることで、「自分が考えていることを、自分の近くにいる人の口からしゃべらせる」ということは「奇妙なこと」ではなくなり、全方位的に「人生のヒント」として、ぼくたちに立ち上がってくる。

じぶんの近くにいる人たちは、ときに、「嫌な思い」をしながら、じぶんが嫌だと考えていることをじぶんの代わりに語ってくれている。

「嫌なこと」(嫌だとじぶんが考えていること)を言われたときは、だから、「チャンス」である。

 

このようなことは、決して、「奇妙なこと」ではない。

シンプルに言えば、「心の中にある」から「耳に引っかかる」ということでもある。

また、異なる角度から、例えば、映画などの物語をつくるとして、登場人物をかんがえ、場面をかんがえ、物語の流れをかんがえていくとする。

そのとき、物語は、スクリーンに見られる<外部>の出来事と、登場人物の<内面>の心や感情の動きを親密に接合させながら、つくられてゆく。

主人公が「変わる・決断する・成長する」ときには、他の登場人物に主人公が「嫌だとかんがえていること」を語らせ、その言葉に心の深くまで射られる主人公は、気づき、ひらめき、行動を起こしていく、というように物語を構成していったりするだろう。

同じように、ぼくたちの「人生」も、じぶんの考えていることが顕現する「世界」(あるいは「物語」)として、<オン・エア>されるのである。

 

日常生活でおきることに対して、他人事のように指を指して文句や不平不満を言い続けるのか、あるいは、「360度、全方位的に「人生のヒント」」として気づきを得てゆくのか。

そこには「正しさ」があるというよりは、じぶんの人生の<選択>がある。

じぶんはどちらの生き方を選ぶかという選択である。