旅は、時間の流れから見てみると、旅の「前」「途中」「後」と、それぞれに異なる仕方で、ぼくたちの生を祝福してくれる。
旅の「途中」だけでなく、旅立つ前からの一連の流れにおいて、旅の楽しみに充ちている。
旅の「前」を楽しむことは、格別である。
でも、それは、人によっても、旅の前の「楽しみ方」は異なってくる。
ぼくがアジアを一人旅していたときなど、目的地とそこに至るルートなどを計画しながら、楽しんだ。
それはとてもワクワクするものであった。
今では、それは男性脳的な「目的・ゴール志向」の楽しみ方であるかもしれないと、思ったりする。
女性脳の持ち主の女性とともにする旅であれば、男性脳の持ち主は黒川伊保子のアドバイスも聞いておきたい。
脳の性差にかんするエッセイストでもあり、人工知能エンジニアでもあった黒川伊保子は、「女性脳のトリセツ」を語るなかで、(旅に限られることではないけれど)「女性脳は、「少し先の楽しみ」に照らされて生きていく」ということに触れている。
感性のひも付けを手操って、関連記憶を臨場感たっぷりに想起する女性脳は、未来への想念においても、それを応用する。だから、少し先の楽しみが、女性脳にはとても嬉しいのである。
「梅雨が明けたら、美味しいビールを飲みに行こう」「今年の冬は、北海道に蟹を食べに行こうか」などと誘われたら、何を着て、何を見て、何を食べて、どうふるまうかを、断片的に想像しては期待感を増す。
黒川伊保子『キレる女 懲りない男ー男と女の脳科学』ちくま新書、2012年
このように、「少し先の楽しみ」をともに楽しんでいくところに、旅の前の楽しみのひとつがある。
「少し先の楽しみ」は、別に大げさなことではなく、「今週末、うちでご飯食べない?」などの女友達の誘いでもよいと、黒川伊保子はこの文章のあとに書いている。
生きるということの「楽しみ方」として、このことはとても大切なことを教えてくれてもいると、ぼくは思う。
ちょっとした予定とちょっと気の利いた言葉だけで、世界は、あかるい色に照らされる。
それにしても、「少し先の楽しみ」に照らされて生きていく、という響きはとてもすてきだ。
ここ香港に住んでいて、電車のなかやカフェや本屋さんで、女性の方々が日本旅行のガイドブックをひらいているのを目にしたりする。
視線はとても真剣であるけれど、他方で「少し先の楽しみ」の世界を楽しんでいらっしゃるのかもしれない。
ぜひ日本を楽しんでほしいと、ぼくは勝手に思ったりする。
1週間の旅であっても、それは1週間だけの旅ではない。
旅は、いつだって、その前からはじまっているし、旅が終わっても、その旅のうちにあって心をうばうような経験は、その後もぼくたちの生を照らしていく。
そんな旅の作法において、旅を楽しんでいくことも、方法のひとつである。