日本でのコーチングの第一人者である榎本英剛氏の著作『本当の自分を生きるー人生の新しい可能性をひらく8つのメッセージ』(春秋社、2017年)に、ついつい引き込まれながら読んでいたら、気がつけば、本の、もう終わりの方にさしかかっていた。
榎本英剛自身の半生を追う仕方で「8つのキーメッセージ」が語られているなかで、それらの言葉のもとに、ぼく自身が生きるという経験に光をあててゆく。
読書は、ぼくにとって、読むということと共に、著者の言葉との出会いに思考し、内的な議論を展開し、じぶんを見直し、じぶんの行動をつくりだしてゆくものでもある。
そんなふうに読みながら、本の終わりの方にさしかかって、あるところでぼくは「立ち止まって」かんがえる。
ぼくの経験に照らしあわせてゆくなかで面白く感じたのは、コーチングという仕事から入った榎本英剛の人生は、「個人」と向き合うことから、やがて「組織」、「地域」、「一般市民」という仕方で開かれていったこと、そしてぼくの仕事と関心は、それとは逆の仕方で、「一般市民」と「地域」、やがて「組織」、それから関心としの「個人」というように焦点をしぼってきていることである。
もちろん、それぞれの対象は相互につながっているものであり、例えば組織に向かっているときも、個人や地域や一般市民のこともかかわっている。
けれども、なにはともあれ、この箇所を読みながら、ぼくは「生きる」ということの興味深さを感じたのだ。
榎本英剛は、自身の活動をあとから振り返ったとき、展開してきたそれぞれの活動(コーチング、トランジションおよびチェンジ・ザ・ドリーム=チェンドリと呼ばれる市民運動)の共通点として、「エンパワー」という目的を見て取っている。
コーチングの場合、エンパワーする対象は「個人」であり、トランジションの場合は「地域」であり、チェンドリの場合は「一般市民」であるといった具合に、対象がそれぞれの活動で異なるだけでエンパワーするという目的においては皆、同じ線上にあるものだったのです。
ここで大事なことは、これらのことを私が順を追って計画的にやってきたわけではなく、ただただ自分の内なる声に従ってやってきた結果、あとで振り返った時に、そこに一本のまっすぐな道ができていた、という事実です。
榎本英剛『本当の自分を生きるー人生の新しい可能性をひらく8つのメッセージ』春秋社、2017年
「あとで振り返ったとき」の「一本のまっすぐな道」は、スティーブ・ジョブズがかつて語った「connecting the dots」と通じる見方である。
過去のいろいろなことが「現在」という地点において、意味づけされ、ときに個人の「物語」として立ち上がってくる。
そのように、榎本英剛の「生きる」は、<個人→地域→一般市民>というように展開され、ひろがり、そしてそれぞれの活動に厚みと深さが加えられていった。
なお、榎本英剛はコーチングをはじめた後、それほど時を経ずしてアメリカに留学し、そこで「組織論」を学んでいるから、そのことを考慮すれば、前述の流れは、<個人→組織→地域→一般市民>というように、書き換えることができる(※なお、榎本英剛氏はその後「よく生きる研究所」を立ち上げていて、それはこれら全体を包括するようなものなのかもしれない)。
ぼくにおいては、それはちょうど逆の仕方、つまり<一般市民/地域→組織→個人>というように展開され、焦点を変えてきた。
研究対象としては「途上国と人びとの発展」から入り、NGO職員として仕事をすることで日本それから実際に西アフリカのシエラレオネと東ティモールで活動をする。
「途上国」という領域において、またNGOという活動で<一般市民>(あるいは市民社会)ということにコミットし、また、シエラレオネでは村々での井戸掘りなど、東ティモールでは一地域のコーヒー生産者支援など<地域>というところにコミットしていた。
それから、香港にうつったぼくは、NGOの活動中ずっと、実践しかんがえつづけてきた<人と組織>ということを焦点に、人事労務コンサルタントとして仕事をしてきた。
そして現在、「生きる」ということにおいて<個人>にまで降り立っている。
繰り返しになるけれど、<個人>にまで降り立つことで、組織や地域や一般市民をかんがえないということではない。
むしろ、組織や地域や一般市民ということを<通過する>ことで、「個人」ということをかんがえるときに、いつもそれらが念頭されている。
より正確に言えば、一般市民・地域・組織・個人など、いずれかの領域に深く入ってゆけばゆくほどに、他の領域がどうしても対象として「出てきてしまう」ところに、ぼくの経験はあった。
それは、榎本英剛の書くように「順を追って計画的にやってきたわけではなく」、ひらかれるようにして、現出した経験である。
どんなテーマも、それをほんとうに追い求めてゆくと、そのテーマを超えていってしまうように、ぼくは思う。
ところで、榎本英剛にとっての「エンパワー」という、仕事と関心を貫く共通目的は、ぼくにとってはなんであろうかと、かんがえる。
それは、「目的」ではないけれど、ぼくにとっては<問い>である。
どのようにしたら、歓びに満ちた生を生きてゆくことができるのか。
この移り変わりゆく世界、人間の歴史の「第二の曲がり角」(見田宗介)にさしかかっているなかで、どのように生き、可能性を開いてゆくことができるか。
個人と個人(たち)の「関係」として、組織があり、地域があり、市民社会がある。
そしてまた、そこには「家族」という層も考慮されている。
ここではぼくは欲張りで、それらのいずれにもかかわっていきたいと、思う。