香港歴史博物館の特別展示である「An Age of Luxury: the Assyrians to Alexander(豪奢・贅沢の時代:アッシリア人からアレキサンダーへ)」(2018年5月9日~9月3日)が展示する豪奢なもの・贅沢品の数々は、紀元前900年から紀元前300年の時代にわたるものである。
この「時代」は、かつて、歴史家カール・ヤスパースが、つぎのように「特定した時代」と重なっている。
…この世界史の軸は、はっきりいって紀元前500年頃、800年から200年の間に発生した精神的過程にあると思われる。そこに最も深い歴史の切れ目がある。われわれが今日に至るまで、そのような人間として生きてきたところのその人間が発生したのである。…
カール・ヤスパース「歴史の起原と目標」重田英世訳『ヤスパース』河出書房新社
ヤスパースが「軸の時代」(※上記の本では「枢軸時代」の訳)と呼んだ、この時代に着目しながら、社会学者の見田宗介は、「人間の歴史の第一の曲がり角」であったとしている(『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年)。
歴史の第一の曲がり角を特徴づけた背景は、<貨幣経済>と<都市の勃興>であり、とくに貨幣経済による人間世界の「無限化」であったと、見田宗介は語る。
ギリシアの哲学が生まれ、宗教がひらかれた「軸の時代」は、そのような開放と不安と恐怖に彩られる時代であったという。
そして、無限化された人間世界は、現代に至り、グローバル化の果てに、その地球の「有限」を見る。
「人間の歴史の第二の曲がり角」に、ぼくたちはいる。
このような問題意識において、「軸の時代」、つまり「人間の歴史の第一の曲がり角」であった時代を、ぼくは展示品を通して思い描くのであった。
特別展示「An Age of Luxury: the Assyrians to Alexander」は、大英博物館に収められている、歴史の語り手でもある「贅沢品」を展示しているが、この展示物のなかに、世界における、初期の「硬貨」がある。
貨幣経済が発祥したとされるリュディア(Lydia)で製造された硬貨である。
エレクトラム(琥珀金)から作られ、金と銀が混合されているという。
このリュディアでの貨幣経済の発祥にふれて、見田宗介は、前述の本で「現代社会はどこに向かうか」を問いにしながら、つぎのように書いている。
…ミダス王はこのリュディアの東方フリュギアの王である。知られているとおり、ミダス王は黄金を何よりも愛し、手に触れるものすべてを黄金にへんずるという力を獲得するのだが、水を飲もうとしても水が黄金に変わってしまうので、のどが渇いて死んでしまうというものである。貨幣経済のあらあらしい発生期にミダス王の神話を生み出した人びとが直感したのは、貨幣の欲望の本質は世界の等質化ということにあること。つまり抽象化することにあること。この故に貨幣の欲望には限度がないこと。具体の事物への幸福感受性を枯渇すること。この故に人は現代の人間のように、死ぬまで渇きつづけるということである。三千年の射程をもつ予感であった。
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年
「An Age of Luxury」とは、世界が、等質化され、抽象化され、「無限」として感じられはじめた時代であり、開放と不安と恐怖のなかで、たとえばミダス王の神話に託された「予感」のように、人びとが戸惑った時代でもあったのである。
香港歴史博物館の特別展示「An Age of Luxury」はもちろん大英博物館のほんの一部の展示品(210の展示品)を見せるだけである。
けれども、大英博物館であったなら、展示品があまりにも多すぎることから、ついつい通り過ぎていってしまいそうな展示品の前に立ち止まって、じっくりと鑑賞し、人間の歴史に想いを馳せることができる。
リュディアの、ほんとうに小さい硬貨の前で、ぼくは当時の人たちの「三千年の射程をもつ予感」に想いを馳せる。