9月16日に接近した台風による香港と人びとの生活への影響は、台風が遠ざかり、「翌日」という名の蓋を開けてみて、その想像以上の大きさを知ることになる。
木々が倒れ、信号機が壊れ、標識が倒れ、窓やドアが壊れ、小さな小屋が倒壊し、道が破壊され…というように。
そして、道路や施設などの正常な機能に「依存」している社会システムが、たとえば多数の道路の閉鎖、そしてそれに伴う交通の麻痺などによって、通常の機能を充全に発揮できない。
普段どれだけ、これらのインフラや施設などに「依存」して、社会システムが機能しているのかが、ひしひしと感じられる。
「翌日」を超えて、翌々日という今日を迎え、問題と課題の残るなかで、影響の大きさはより切実に迫ってくることになる。
学校は依然として休校となり、道路もまだ多数が閉鎖されており、消防車がマンションの敷地に車両をとめている。
「復旧」は、その段階を経て、その様相と諸問題の諸相を幾分か変遷させながら、すすんでいく。
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そんな折、友人たちから、「大丈夫?」のメッセージが届く。
とてもありがたいことである(改めて感謝!)。
先日の日本での自然災害において、香港の友人から「日本のことを気にかけてくれる」声を、香港にいるぼくが受け取った(ブログ「香港で、「日本のことを気にかけてくれる」声に、世界の<つながりの地層>のひとつを視る。」)。
その「声」が、直接的に、その自然災害の被害を被った人たちに送られたわけではないけれども、ぼくは、そこに、世界の<つながりの地層>のひとつを見た。
直接的ではないけれども、<気にかける/気にかけられる>という関係性が、このグローバルな世界であらわれている。
友人たちからのメッセージは、直接的に、ぼくに送られたものでありながら、そこには同時に「香港と香港の人たち」に向けられた声であるように、ぼくは感じる。
このような<気にかける/気にかけられる>という関係性は、情報通信技術の発展によって助長され、またより明示的になる。
海外に出てから約16年になるけれど、その間の情報通信技術の発展によって、「海外にいること」の感覚と方法が、いろいろに変わってきたように思う。
もちろん、これからも劇的に変わってゆくことになるだろう。
そこでは、人と人との<つながり>の関係性が、ものごとを牽引し、方向づけ、感覚と方法にひろがりと深度をつくってゆくように、ぼくは思う。