9月16日に香港の南を通過していった「台風」は中国本土に上陸し、ここ香港では17日の午後になって、台風の「警戒レベル」を最小の「シグナル1」に落とした。
今回の台風は、相当な被害を香港にもたらしたようだ。
「ようだ」と書くのは、メディアで伝えられている情報なども含めて書いているからだ。
ぼくはすべてをこの目で見たわけではないけれども、少なくとも、ぼくの住んでいるマンションの敷地と周辺は、あきらかに、これまでの(ここ10年ほどの)台風とは次元の異なる被害をもたらしている。
木々は至るところで幹や枝が折れ、なかには根こそぎ倒れている。
それらが車道をふさぎ、一時的に閉鎖されている。
マンションのロビーのドアガラスなどが壊れたり、その他の施設もそれ自体が倒壊したり表面がはがれおちたりしていて、管理チームが朝から復旧作業に追われている。
16日に香港の天文台(気象庁)が「警告シグナル」を最高度の「シグナル10」に上げてから、結局10時間に渡って、シグナル10が発令されていたことになる。
その間にブログ(「香港で、大型の「台風」を経験しながら。- 「台風」という言葉の檻から出ること。」)を書いていたのだけれど、落ち着くことのできない「時間」であった。
夜になっても、高度の警告シグナルが発令されつづけ、終日家にいることになった。
だから、外がどのようになっているかは、窓から見える風景とメディアが伝える写真と映像などから知るだけであった。
学校が休校となり、倒木などが道路がふさがり香港の至るところで交通のみだれが伝えられる今日17日になり、ようやく、外に出てみて、身近な「被害」の状況と、そこから想像される台風のすさまじさが、ひしひしと伝わってくるのであった。
復旧には相当な時間と労力が要される状況である。
お昼の時間帯になってもいくつかの店舗が閉まっているショッピングモールではしかし、いつもどおりの人の行き来がみられるようになり、そのような人の「流れ」が、まるで<普段の生活空間>をとりもどしてゆく動力であるように、ぼくには見えた。
今は空も海も、それから身体にふれる風も、とても穏やかで、「あの」台風が昨日であったことが信じられないほどだ。
今朝起きて、ようやく「窓」を開けることができ、窓の外から流れ込む新鮮な空気を肌に感じながら、ふと遠くの方で<鳥の鳴く声>が、その凛とした響きがぼくに届いた。
「鳥が戻ってきた」と、ぼくはすぐさま思う。
台風のあいだ、いったいどこに身を寄せていたのだろうかと不思議であった鳥たちが、戻ってきたのだ。
木々が倒れた小さな森に、鳥たちがそれでも戻ってくる。
鳥たちの姿と声が、どこか、ぼくの内面を穏やかに、そして安心させてくれるように、ぼくは感じるのであった。