2019年1月1日からNetflixで配信されているリアリティ番組『Tidying Up with Marie Kondo』。
「Marie Kondo」はもちろん、『人生がときめく片づけの魔法』の著書で知られる近藤麻理恵(こんまり、KonMari)。Marie Kondoがアメリカ(カリフォルニア)の家庭を訪れ、「KonMari Method」を伝授しながら、彼ら/彼女たちの片づけをサポートする番組である。
「シーズン1」は全8話で構成され、1話ごとに、ひとつの家庭の片づけ模様が展開される。
「リアリティ番組」を観て視聴者が楽しむということだけにかぎらず、各家庭の片づけの様子が「事例」となり、視聴者向けに「レッスン」が語られることで、いわば「片づけのレッスンと事例」によるオンラインコースを受けているような内容だ。
つまり、各エピソードを楽しむことに加え、エピソードを観た人たちが、実際に「KonMari Method」を活用しながら「片づけ」をし、新しい生きかたをひらいてゆくことの起動装置が内臓されている。起動装置を発動させるかどうかは、視聴者ひとりひとりによることは言うまでもないが。
もちろん「KonMari Method」をさらにひろげ、ビジネスがひろがることも目的のひとつであるだろうけれど(実際に、英語訳著書が再度ベストセラーリストに入ったようだ)、そんなことはまったく感じさせない仕方で、全8話の「物語」がすすんでゆく。
各メディアもとりあげていて、ここ香港の英語媒体であるSCMP(South China Morning Post)も、レヴューを挙げていた。
1月1日という一年のはじめという時機、あるいは旧正月がおとずれる前という時機、さらには「近代から脱近代」という歴史的な局面において、「KonMari Method」の方法は、世界中の多くの人たちを捉えているように見える。
番組『Tidying Up with Marie Kondo』が、ほんとうによくできている。ぼくはそう思う。
内容も形式も、よくかんがえられている。
「片づけのレッスンと事例」によるオンラインコース的な内容であることを述べたけれど、視聴者が飽きないよう各エピソードにおいて片づけのどこを見せるかなど、編集がよくなされている。
そもそものぜんたいにおいて、家庭の多様性を考慮して家庭が選ばれ、家族構成やライフステージの異なりを確保することで、多様な視聴者がいずれかのエピソード(物語)を身近に感じることができるように配慮されている。
配慮された「舞台」のなかで、実際に登場する人たちは片づけを通して「ドラマ」を展開し、片づけの「達成」に加え、じぶんたち自身の「変化」をつくりだし、感じとってゆく。人生という「物語」の新しいチャプターがひらいてゆくのだ。
こまかいところでの発見やぼく自身の気づきなどはほんとうにたくさんあるのだけれども、ぼくの好きなシーンは、「greeting the house」、家に挨拶をするシーンだ。
片づけにはいるまえに、近藤麻理恵/KonMariが、家の適切な場所をみつけ、そこに正座し、目を閉じて、家に挨拶をする。「家に挨拶」ということのなかには、未来のありかたをイメージしたり、メディテーション的な要素が含められている。
物語がはじまる、この「はじまり」の気配がとてもいい。家族それぞれによって、このプロセスへの参加の仕方はさまざまで、そのことも興味深いのだ。
そしてなによりも、エピソードを見ると、片づけをしたくなる。実際にじぶんの片づけをしながら、並行的にエピソードを見ると、さらに効果的である(少なくとも、ぼくにとっては効果的であった/効果的である)。
それにしても、「KonMari Method」の魅力ということをかんがえる。
「一気に、短期に、完璧に」という、この時代にあう、スピード感あふれる方法であり、だれもが実践できるシンプルさで、かつ「spark joy(ときめき)」という、これまた時代にあった核心をついている。などなど。
そうやって、いろいろと書いてみることもできるのだけれど、言い尽くしていないように感じてしまう。
ふと、つぎのことを、ぼくは思う。
小説家の村上春樹は、じぶんの書く小説について、じぶんよりも優れた長編小説を書く人はいるけれど、じぶんが書くような長編小説を書ける作家はほかに一人としていないはずだと、あるところで(『若い読者のための短編小説案内』の冒頭に)書いている。
おなじことが、近藤麻理恵/KonMariの「片づけ(また片づけコンサルテーション)」にも言えるのではないか、と。
世界には「KonMari Method」以外にもほんとうにたくさんの「片づけ」の方法(また片づけを教える方法)があるし(ぼくは「断捨離」が好きである)、「KonMari Method」よりも洗練されているものもたくさんあるだろうけれど、近藤麻理恵/KonMariがするような「片づけ(また片づけコンサルテーション)」をすることのできる人はほかに一人としていないはずだ、と。ぼくはそう思う。