思えば、これまで、いろいろな「世界」のなかにいたことを思う。
とてもあたりまえのことだけれど、たとえば、どこに住み、どのような生活をし、どのような仕事をし、どのような人たちと日々をおくるかで、世界観とか人生観が異なってくる。まったくといっていいほどに違うこともある。
住む場所でいえば、ぼくは、生まれ故郷の静岡県浜松市、東京・埼玉、ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、ここ香港で暮らしてきた。また、住むまでではないけれどマレーシアにも総計で長く滞在してきたし、旅という形で、中国本土、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、インドネシア、台湾などにも滞在した。
場所だけで世界観と人生観がつくられるわけではないが、たとえば、東京とシエラレオネでは、まったく「世界」が異なる。そこまで極端にせず、もっと生活水準が近いところを並べてみても、やはり、場所による差異は、世界観や人生観に大きく作用するものだ。そこで生活をともにする人たち、文化、社会システムなどのいろいろが、作用してくる。
仕事でいえば、たとえば、東京ではレストランバーでパートタイムの仕事をし、三重県で短期間のあいだ自動車工場でも働いた。ニュージーランドにいたときは3ヶ月ほど日本食レストランで働き、また、大学を出てからは、NPO職員として(東京、シエラレオネと東ティモールで)勤務、さらには香港で、人事労務コンサルタントとして企業で働いた。
パートタイムからフルタイム、サービス業から工場労働、非営利から営利など、いろいろな「世界」のなかで働いてきた。
仕事の本質的なところにおいては共通するもの・ことを感じながら、しかしそれぞれの役割のなかで、それぞれに感覚し、かんがえることがある。
上に書いた「場所」や「仕事」は、ぼくが<直接的に身を投じる>ところであった。ある場所に、ある役割で身を投じているとき、それぞれに、かかわる人たちや組織やシステムがある。じぶんが直接的にその人たちの仕事をするわけではないし、その組織に所属するのではないけれど、一緒に仕事をしたりするなかで、ぼくたちは<間接的にかかわる>。
ぼくは、NPO職員として国際協力・国際支援にたずさわっているときは、いろいろな立場の方々とお会いし、あるいは一緒に仕事をさせていただいた。NPO/NGOで一緒に働く方々、寄付してくださる方々、ボランティアの方々、国際機関で勤務している方々、日本や他国の政府・政府系組織の方々、専門家の方々、ジャーナリストや写真家の方々、企業のCSR担当の方々、政治家の方々、学校の方々など、挙げていったらきりがない。
支援の受け手側(「受動的」ということではない)に視界をひろげれば、難民の方々、村々の人たち(大人も子供も)、村のリーダーの方々などの姿と表情が思い浮かぶ。
そのあとに、ここ香港では人事労務コンサルタントとして、主に、香港の日系企業で働く駐在員の方々やマネジメントにたずさわっている方々と、日々かかわってきた。「企業の業種」はいろいろで、業種の窓枠がかわると、そこにひろがる「世界」も変容する。
「他者」は、向かい合う他者であるだけでなく、じぶんの「眼」ともなる他者ともなりうる。かかわる人たちや組織やシステムの観点・視点から、ぼくたちは「世界」を見ることができる。
そうであるから、かかわる人たちや組織やシステムも、いろいろな濃度はありながらも、ぼくたちの世界観や人生観に影響してくることになる。
これらの場所や仕事の経験のおかげで、あるいは、出逢った方々のおかげで、ぼくの世界観や人生観はゆたかになってきたのだと思う。
「ゆたか」になることは、それによってすぐさま「利益」をもたらすようなものではない。そうではなく、たとえば、ぼくの観点・視点がそれなりの奥ゆきをもつことである。でも、奥ゆきをもつことは、楽になることでもない。そうではなく、ぼくの思考が、たくさんの<他者たち>を内にもつことである。そのような思考のなかで、矛盾にひたされることもある。
でも、それらをすべてふくめて、「生きる」ということの深さや充実を感じさせてくれるものである。