最近よく考えていることのひとつとして、「人生の前半と後半」ということがある。もう少し焦点を当てるとすれば、「中年の危機」(midlife crisis)ということである。
ひとつには、じぶんがそのような「人生の時間/時期」にいるからである。
でも先に述べておけば、ユング派の分析家Robert A. Johnson(1924-2018)が書いているように、「中年の危機」(midlife crisis)というよりも、「中年の機会」(midlife opportunity)というように捉えていきたい。
ところが、じっさいにその中にいるとその中にいることは感じるのだけれど、だからなのか、じぶんの内面の風景がくもってしまって、よく見えない。
だから、ここ数年来、河合隼雄などによる著作で触れてきたこのテーマを、もっと深く理解し、今のじぶんの生きかたにつなげていけたらよいと思っていたところ(テーマの「アンテナ」を張っていたところ)、上述のユング派の分析家、Robert A. Johnsonの著作に出会うことができた。
その出会いに心を揺さぶられ、その「勢い」でこのブログを書いているようなところがある。「勢い」で書いているようなところがあるだけで、このブログはこのテーマの深さにきりこんでゆくものではないけれども、もっと(適切な仕方で)語られてもよいと思うこのテーマへと関心の光をあてておきたい。
あるいは、このブログを読んでくれる人たちのなかに、共通のテーマを切実に(また同時に、楽しく)追っている人がいるかもしれない。心を揺さぶる「こんな本があるよ」と、それだけでも伝わるかもしれない。
そんなことから、よく考えていることの「メモ」として、ぼくはこうして書いている。
まずは「メモ」(「メモ1」程度)として、Robert A. Johnson(Jerry M. Ruhlとの共著)の著作を挙げておこうと思う。
“Living Your Unlived Life: Coping with Unrealized Dreams and Fulfilling Your Purpose in the Second Half of Life” (Jeremy P. Tarcher/Penguin, 2007)
By Robert A. Johnson and Jerry M. Ruhl, Ph.D.
序文は次のように始まっている。
In the first half of life we are busy building careers, finding mates, raising families, fulfilling the cultural tasks demanded of us by society. The cost of modern civilization is that we necessarily become one-sided, increasingly specialised in our education, vocations, and personalities. But when we reach a turning point at midlife, our psyches begin searching for what is authentic, true, and meaningful. It is at this time that our unlived lives rear up inside us, demanding attention.
人生の前半においては、われわれは、キャリアを築いたり、仲間を見つけたり、社会によって要求される文化的な課題を果たすことに忙しい。近代の文明の代償とは、われわれが、教育や仕事や性格においてますます特化していきながら、やむを得ず一面的になることである。けれども、中年(midlife)のターニングポイントに到達したとき、われわれの精神(psyches)は、真の(authentic)、真実の、また意味のあるものを探しはじめる。われわれの生きられなかった生(unlived lives)がわれわれのなかで、注意・注目を要請しながら心をかきみだすのは、このときである。
Robert A. Johnson and Jerry M. Ruhl, Ph.D. “Living Your Unlived Life: Coping with Unrealized Dreams and Fulfilling Your Purpose in the Second Half of Life” (Jeremy P. Tarcher/Penguin, 2007) ※日本語訳はブログ著者
ここで書かれれている「人生の前半/(中年)/後半」は、カール・ユング(Carl Jung、1875-1961)が早くから言っていたことを、ユング派の分析家として継承している。
人生の前半と後半では、それぞれに人間にとっての意味が異なってくる。「中年(midlife)」のターニングポイントでは、そのトランジションの課題に直面してゆく。中年の「危機」でありながら、「機会」である。
Robert A. JohnsonとJerry M. Ruhlは「生きられなかった生(unlived life)」という視点で、「人生の前半/(中年)/後半」をわかりやすく、またセラピストとして読者に投げかける質問を盛りこみながら語っている。
中年の「危機」の現れを、たとえば、つぎのように書いている。
The unchosen thing is what causes the trouble. If you don’t do something with the unchosen, it will set up a minor infection somewhere in the unconscious and later take its revenge on you. Unlived life does not just “go away” through underuse or by tossing it off and thinking that what we have abandoned is no longer useful or relevant. Instead, unlived life goes underground and becomes troublesome - something very trouble some - as we age.
…
When we find ourselves in a midlife depression, suddenly hate our spouse, our job, our life - we can be sure that the unlived life is seeking our attention. When we feel restless, bored, or empty despite an outer life filled with riches, the unlived life is asking for us to engage.選ばれなかったことがトラブルを引き起こす。あなたが選ばれなかったことに何もしないのであれば、それは無意識のどこかに軽度の感染(infection)をつくりだし、のちにあなたに復讐するだろう。生きられなかった生は活用されなかったことで、あるいは振り落とし、われわれが見捨てたものはもう有益ではない/関連しないと考えることによって「消え失せる」ものではない。そうではなく、生きられなかった生は地下に潜伏し、年を重ねるにつれ厄介なものーとても厄介なものーとなる。
…
中年(midlife)において鬱になったり、突然配偶者や仕事や自分の人生が嫌になったりするとき、生きられなかった生が注意・注目を求めているのだと、確実にいうことができる。そわそわしたり、飽きたり、外面の生活が豊かさでいっぱいにもかかわらず空虚さを感じたりするとき、生きられなかった生が、われわれに関わることを求めているのである。Robert A. Johnson and Jerry M. Ruhl, Ph.D. “Living Your Unlived Life: Coping with Unrealized Dreams and Fulfilling Your Purpose in the Second Half of Life” (Jeremy P. Tarcher/Penguin, 2007) ※日本語訳はブログ著者
ところで、「中年の危機」ということを見るときには、つぎの点については、一歩下がって見るようにしたい。
●「中年」(midlife)という時期
●「危機」の現れ方
「中年」(midlife)という時期については、人生100年時代をむかえているなかにあっては、時期の範囲がひろがるのかもしれない。
心理療法家の諸富祥彦は、人生の午前(前半)と午後(後半)を分かつ「人生の正午の時間」は、日本の平均寿命がのびるにつれてだいぶ後ろ(40代から50代、3割くらいは還暦後)にずれてきたことを、実感として語っている(『「本当の大人」になるための心理学』集英社新書)。
「人生100年時代」においては、これまでの「教育→仕事→定年」という人生経路がいろいろに変わってゆくため、その変化とあわせても、中年という時期の範囲には注意をしておきたい。
また、「危機」の現れ方も、もっと多様化してゆくかもしれない。
そんなことに注意しながら、「中年の危機」(midlife crisis)という、ある意味でよく語られてきたけれど、ある意味で語りつくされていない(生きかたにあまり反映されていない)ことを、Robert A. JohnsonとJerry M. Ruhl、またユングや河合隼雄などの知見もまじえながら、ぼくはじぶんの「中年」と照らし合わせながら、考えている。
「メモ」ということで、ひとまずこのあたりで。