2019年は思想家の鶴見俊輔(1922-2015)の著作を読もうと、2018年の終わりちかくに、ぼくは思うことになった。年始にさっそく鶴見俊輔の著作を手にいれ、読みだしたら、一気に脱線してしまった。著作のなかで鶴見俊輔がふれる人たちを、そのたびごとに追っていたら、まったく進まなくなってしまったのだ。
でも、それが「鶴見俊輔」という先達の魅力のひとつでもあるように、ぼくは感じるようになる。
そのあと、ふしぎなことのように、ぼくは、鶴見俊輔と同じくらいの年代に生まれた先達たちの著作に、なぜか、とても惹かれるである。
1910年代から1920年代くらいに生まれた人たちの書くことばにである。
ここのところ、串田孫一(1915-2005)の著作(『知恵の構造について』)にはじめてふれてみて、その文体と思索にひきこまれている。
串田孫一のことを知ったのは、もう20年以上まえのこと。作家の辺見庸の対談相手のひとりとして、串田孫一が選ばれていた。経歴をみると、当時ぼくが通っていた大学の教壇に立っておられたこともあるようで、いっそう、ぼくの印象に残っていた。
それから20年以上が経って、ぼくは、ふと、串田孫一の著作を読みたくなったのだ。少しまえに読んでいた、辺見庸の著作(『水の透視画法』)にも、串田孫一との対談の思い出が書かれていたことに、触発されたのかもしれない。
辺見庸は、串田孫一を「なんとよべばよいのか」と自問している。哲学者、詩人、エッセイスト、翻訳家、アルピニスト、画家など、どれもぴんとこない。「職業名」があてはまらないのだ。辺見庸は、結局のところ、尊称としての「ひと」と、串田孫一をよんでいる。
そのように<ひと>としかよぶほかないような人物に、ぼくは惹かれたのかもしれない。
『知恵の構造について』(角川文庫、1969年)のさいしょのほうから、ひきこまれてしまう。
私は今日ひるすぎから、あることを考えはじめて、それを帳面に書きつけたり、ぼんやりと目をつぶっていたりしていましたが、どうにも抜けられない溝のようなところへ落ちこんでしまうので、夜になってから、ひさしぶりに望遠鏡を近くの草原に持ち出して、ついさっきまで、星をのぞいていました。…
串田孫一『知恵の構造について』(角川文庫、1969年)
それから星の世界にひたり、帰り道に近所の家から聞こえてくるピアノの音(ショパンの「エチュード」)にひかれ、その音にみちびかれた想像はひろびろとした花園を舞う蝶のイメージと思い出をひらいてゆく。
やがて机にもどってきた串田孫一は、つぎのように、書き継いでゆく。
私はこんなことをして、昼間のうち少しいじめつけてしまった思考に、きれいな星のひかりや、なごやかな調べや、それに蝶の翅からあざやかな色などをそそぎこんで、だいぶこころよい気分をつくりあげることができました。
私はひとになんと言われても、自分が、こうしたこころよい気分にひたっていられるときは、何ごともうまくできますし、自分の過去に積まれている苦悩も、ごく自然に整理されてゆくので、これは尊いときだと思います。…串田孫一『知恵の構造について』(角川文庫、1969年)
こんなふうに思索がつづられている。ぼくは、なぜか、とても惹かれてゆくのである。
気がつくと、1910年代から1920年代くらいに生まれている先達たちである。
鶴見俊輔(1922-2015)はもとより、鶴見俊輔の著作でふれられている、著書『ゲド戦記』で知られるアーシュラ・K・ル=グルヴィン(1929-2018)。最近ふと著作に出会い読んでいる、ユング派の分析家Robert A. Johnson(1924-2018)。それから、串田孫一(1915-2005)。
これまでも読んできていたけれど、いっそう惹かれる、整体の野口晴哉(1911-1976)も1911年に生まれている。
ここで「理由」については立ち入らないでおこうと思う。そんなにかんたんにくくりだすことをしたくないし、また、ぼくの個人的な理由が大半かもしれないから。
でも、ぼく「個人」をとおして、この現代だからこそ求められるものも見えてくるかもしれない。あるいは、この現代において、ぼくと同じように、1910年代から1920年代くらいに生まれている先達たちに触発されている人たちがいるかもしれない。
そんな感覚につきうごかされて、ぼくは、こんなブログを書く。