異文化の力。
陽射しをうける香港の通りを歩きながら、「異文化」について考える。
なお、これほどに使われる「文化」という言葉には、だれもが了解する共通の定義はなく、その位置づけもそれほど自明のことではない。ここではその詳細についてふれるのではなく、言葉も社会システムも異なる「異文化」という経験のことを書いている。
日本に生まれ、日本で育てられ、日本で教育を受けてきたぼくが、日本の外に出てきた経験を土台にしながら書いている。最近は、生まれや育ちや教育の場所や形態が「多様化」していて、そのことを認識しつつも、ぼくはやはりぼくの経験を土台にして書いている。
異文化の力。
異文化との「出逢い」によって影響をうけてきたぼくは、「異文化に接しつづけてきたことは、ぼくにとって、ほんとうに大切なことだったし、とてもよかったことだった」ということを思う。3月だけれど初夏さえ感じさせる陽射しがふりそそぐなか、香港の、なんでもない通りを歩きながら。
そうして、ふと、「異文化の力」という言葉がわいてくる。
でも、正確には、「異文化の力」という言い方はおかしい。「異文化」という言葉自体が、「ある文化」(またその文化コードを内面化した人)と「ある文化」(またその文化コードを内面化した人)の接触を前提にしている。
つまり、「異文化」そのものに「力」が内在しているというよりも、文化と文化との接触の界面に力が宿ることになる。
そのことを書いたうえで、「ぼく」のほうから見ると、「異文化の力」があるように見えるのである。
「異文化の力」は、ぼくにとって(そしておそらくそれなりに多くの人たちにとって)、とてもとても大きなものである。
「日本」という文化コードのなかで、それにしたがう方向にじぶんの心身を「成形」してきたところ、「異文化」に接触する。じっさいに接する「異文化」は、「じぶんの心身」という<文化>のなかに、<異文化>を見つけてゆくことでもある。
人は社会で生きていくうえで、「ある文化のコード」を身に引き受けていく。それは避けることはできないし、必要なことでもある。
でも、「異文化」に接してゆくなかで、そして、その経験がじぶんの心身の深くに生じれば生じるほどに、<じぶんの心身という文化>は、絶対的なものではないことを自ら知ることで相対化され、じぶんの心身のなかにある<異文化>を開花させ、<じぶん>という経験の全体性を獲得してゆくことになる。
このプロセスのなかで「異文化の力」を感じる。
「異文化」は、日本の外の「異文化」である必要は必ずしもないけれども、ぼくは、たとえば、中国本土、ベトナム、タイ、ラオス、ミャンマー、マレーシア、インドネシア、シンガポール、それからこれまでに暮らしてきたニュージーランド、シエラレオネ、東ティモール、そして香港という「異文化たち」に深いところで影響されながら、<じぶんの心身という文化>をいくぶんなりとも変容させてきた。
これらの「異文化たち」と出逢わなければ今のぼくはないし、そして、ぼくの経験のなかでは、このほかに、このような/これほどの「力」をもっているものごとは、(ほとんど)見つけることができない。
異文化の力。ぼくは、香港で、そのことを思う。