西アフリカのシエラレオネ、それから東ティモールで働いていたころ(12年から17年ほどまえのことになるけれど)、ドライバーのスタッフの方々が、車両をとても丁寧に、時間をかけて手入れし、メンテナンスしている姿に触発されたことがある。
シエラレオネの電気も水道もない山奥、東ティモールの山間部にひろがるコーヒー農園など、そのような道があってないようなところを走る車両には、とても負荷がかかる。山奥ではなくても、交通機関どころか、交通網も整備されていないから、車両(さらにはロジスティクス)はプロジェクトをすすめるうえでのコアになる。
人の命も、仕事も、車両にかかってくるところがあり、ドライバーの方々は、車両のメンテナンスにいつも熱心である。朝早くから、車両のエンジン掛けから点検にいたるまで、ほんとうに余念がない。
そんな「姿」を鏡にして、ぼくは、じぶんの「姿勢」を見つめていた。
ドライバーの方にとっての「車両」は、ぼくにとっての「コンピューター」ということもできる。
もちろん、ぼくは、コンピューターだけで仕事をしていたわけではない。プロジェクトの「現場」、具体的には、難民キャンプや村々、コーヒー農園などの現場での仕事は、ぼく自身、つまり人間が問われるところだ。
だから、ぼくは「人間全体」が問われるところに、押しだされたのである。それはとてもチャレンジングであったし、ぼくも全身全霊で取り組んだ。
そんな「現場」にありながら、プロジェクトの運営や組織マネジメント、対外関係などにおいて、仕事のツールはやはり「コンピューター」であった。それは、ぼく自身の「拡張器官」であるとも言える。
けれども、都会のオフィスにあるコンピューターと異なり、プロジェクトの現場、それも電気や通信が整っていない現場でのコンピューター仕事である。そんな事情もあって、先進産業社会における都市で仕事をするのとは異なる諸々の注意点を含め、いろいろと気をつかうところであった。
いろいろと気をつかってはいたのだけれど、それでも、ぼくはほんとうにコンピューターをメンテナンスできているだろうか、また、ぼくの仕事を最善の仕方ですすめてゆくツールとなるようにケアできているだろうか、と、ドライバーの方々の車両メンテナンスにいつも横で接しながら、じぶんを振り返っていた。
それから、どれくらいケアできてきたか、どれくらいケアできているか。香港に移住してから、じぶん自身のコンピューターを含めて、どれくらいケアできてきたか。自信があるわけではない。忙しさを理由に、あとまわしにしてきたところもある。
でも、ときに、ドライバーの方々の「姿」がぼくの意識に、ふと思い起こされる。そんな「姿」が、メンテナンスの大切さを、ぼくのなかに呼び起こしてくれるのである。