続、やはり「速さ」の香港。- 香港に12年住んできたからこそ感じるそのすごさ。 / by Jun Nakajima

続、やはり、「速さ」の香港。ここで「続」と言うのは、昨日、ブログ「やはり、「速さ」の香港。- レストランで、あれよあれよの「速さ」にふれて。」を書き、その「続き」ということで、さらに「速さ」について書いているからである。

昨日ブログを書いていたときには、「続」を書くことはとくに考えていなかった。もちろん、その可能性を明確に排除していたわけでもないけれど、先日ここ香港での大衆的なレストランで体感した「速さ」のことを書いているときには、「続」を書くことは予定になかった。

では、なぜ、翌日になってふたたび書こうかと思ったのか。

「速さ」に遭遇したからである。

それも、一度きりではない。立て続けに、遭遇したからである。

なお、ある種の「認知バイアス」がかかったようなこともあるかもしれない。つまり、昨日「速さ」のことを書いたことで、ぼくの「意識」に<速さの香港>ということがこびりついていて、ぼくの意識が、<速さの香港>を確証するような出来事を、さまざまな出来事から切り取ったのかもしれない。

この「認知バイアス」の可能性をぼくは否定しない。否定しないけれど、それでも、そんな「認知バイアス」がどうであれ、やはり<速さの香港>が否応なく存在している。12年香港に住んできたぼくは、そう思う。


「速さ」のなかでも印象にのこった「速さ」は、まずは、コンピューターなどの機器やアクセサリーを販売する店舗が集合的に連なっているコンピューター・センターでのことであった。

ある店舗に入って、抱えている問題と必要としているデジタル関連アクセサリーの特色を伝えると、これまた、あれよあれよと、ものごとがすすんでゆく。会話のやりとりがすすみ、実際に試すためにアクセサリーが開封され、電源につないで試し、購入の意思を伝え、支払いをし、お礼を交わす、という一連の流れが、10分ほどの出来事であった(ちなみに、要件は2件あり、ともに完了してしまった)。

前日にはいろいろと、ああでもない、こうでもないと対処法をさぐっていたのだけれど、それが物の見事に10分ほどで終わってしまったのである。1時間ほどを予定していたのが、あっという間に完了したのであった。


それから、スーパーマーケットで遭遇した、レジの店員さんの「速さ」。これも圧巻であった。

いくつかの品の入ったカゴをレジに置き、メンバーカードがある・ないのやりとりをしながらエコバッグをとりだし、バーコードが読み取られて表示される金額を目でおう暇もなく、バーコードの読み込みが終わっってしまう。ぼくはすぐさま、電子マネーで支払いをし、領収書をうけとってパスケースのなかに入れようとしていると、店員さんのほうはすでになにもかもが終わっている。

時間の流れでこのように書いたが、実際にはそれぞれの作業が重なっているから、「一気に」終わってしまうような体感であっったのだ。


「いや~、あいかわらず速いなぁ」と思いながら、ぼくは数日前のことを思い出していた。

パン屋さんでパンを購入してレジにならんでいるときのことであった。ぼくのまえに購入していた人がお財布にお金をしまっていて、そのうしろに、ぼくはつぎの番でならんでいた。

ぼくの番がやってきて、トレイにのせたパンを台にのせる。でも、店員さんはパンを袋に入れるのだけれど、レジ打ちをしない。瞬間、ぼくは気づく。すでにレジ打ちが終わっっていることを。

ぼくのまえにいた方がお財布にお金をしまっているあいだに、ぼくのトレイにのせられたいくつかのパンの料金は、すでに打ち込まれていたのだ。


こんな具合だから、「続」、速さの香港を書くことにしたのだ。

香港の人それぞれの身体に、それから社会のリズムのなかに刻印されている「速さ」。

12年も香港に住まなくても、いつでもどこでも体感できる<速さの香港>だけれど、12年住んできても感じるそのすごさ、さらには12年住んできたからこそ感じるそのすごさ、というのもあるように、最近思うのだ。