<具体的に>動く。- 「ともかく」ときりだされる、相田みつをの「助言」。 / by Jun Nakajima

香港の街のあちこちに、それぞれの用事で行ったりしているところで、詩人であり書家の相田みつを(1924-1991)のことばが思い出される。


ともかく
具体的に
動いてごらん
具体的に動けば
具体的な
答が出る
から

みつを


相田みつをのことばのなかで、他のことばと少し印象の異なることばである。他のことばと少し印象の異なるのは、ひとつに、「~してごらん」という仕方で他者に直接に向けられたことばであるからである。

たとえば、少しまえにとりあげたみつをのことばでは、「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」ということばがある。表現的には、直接に他者に向けられたことばというものではない。

もちろん、だからといって他者に向けられていない、ということではないのだけれど、「~してごらん」という表現のような直接性はない。

また逆から見れば、「~してごらん」という表現の直接性は、そのまま相田みつを自身に向けられた(向けられてきた)ことばである。みつをの経験のなかに深く根をはることばであることが、「~してごらん」というように書かれることで、いっそう感じられるのでもある。


それにしても、日々あたまでいろいろと考えすぎて動くことができないひとなどにとって、とてもストレートな「助言」である。こころのどこかで「行動できていないなぁ」などと思っているときなどにこのことばに出会うと、すとーんと、ことばがおちてくる。

あるいは、なにかものごとの流れがとまってしまっているようなときに、生きることの<具体性>へと光があてられる。

あたまであれこれと思い、悩み、ああでもないこうでもないとじぶんの生(とその可能性)を逆にせばめてしまうようなとき、具体的に動くことで、「具体的な答」が出る。

ちなみに、「答」は、べつに「正しい答」というものではない。試験の正解ではない。そうではなくて、具体的に動いたときに生という豊饒性がなげかえしてくる、豊饒な<経験>である。そんな経験に向けて、ことばが放たれてある。


なお、他の文字に比べて少し小さい文字で冒頭に書かれたことば、「ともかく」が、この書ぜんたいのリズムをつくっているのも興味深い。この「ともかく」の文字の小ささが、思い悩む「あなた」へと、耳をじっくりと傾けている相田みつをを想像させる。

「あなた」の思い悩みを聴いているみつをが、小さな仕方で「ともかく」ときりだしてくる。

生きるということの、豊饒で具体的な経験へと向かう扉をひらきながら。