香港の、住んでいるところの近くの道を歩いていたら、ふと、香港を旅していたころのことを憶い出した。
憶い出していたのは、「旅の仕方」ということである。どのように旅をするのか。どのように旅をつくり、どのように街を歩き、どのように食事をし、どのように人とふれあうか。そのような、じぶんの「旅の仕方」というものは、旅をしはじめたころの影響が大きいのではないか、ということを感じたのである。
はじめて海外を旅したのは1994年の夏のことで、横浜からフェリーにのって上海に入った。この旅の大半は一人旅であり、海外一人旅の魅力にとりつかれることになった。
それから、ここ香港に来たのは、翌年、1995年のことであった。やはり暑い夏の日であった。はじめての飛行機の旅でもあった。香港を経由して、広東省、そこからベトナムに飛んだ。そんな旅のルートに香港を組み込んだのだ。香港は旅の入り口と出口であった。
作家の沢木耕太郎の『深夜特急』(新潮文庫)の旅のはじまりは「香港」であった。後年、沢木耕太郎は、旅の「はじまり」が香港であったことが幸運だったことを述懐している。「旅の仕方」を、香港で構築することができたようだ。
ぼくの「旅の仕方」も沢木耕太郎の経験と交差するようなところがある。ぼくにとっては、海外一人旅をはじめたころの「旅の仕方」が、その後の「旅の仕方」の原型のようなかたちで、ぼくのなかに刻まれている。その「はじめのころ」というのが、1994年の中国(上海・西安・北京・天津)の旅、それから1995年の、香港・広東省・ベトナムの旅であった。
香港の街を歩いているとき、ふと、そんなことを思うのである。
旅というものが、しばしば人生におきかえられるように、「旅の仕方」ということも、日々の「生きる仕方」におきかえることができるようなところがある。「旅の仕方」が旅の初期の経験のなかでかたちづくられるように、「生きる仕方」も、それぞれの「初期の経験」のなかにかたちづくられる。
なにかを「はじめてする」とき、つまり、それまでの「じぶんの枠組み」(コンフォート・ゾーン)からはみだしてゆくようなときに、「じぶん」という経験の核心のようなものがあらわれやすかったり、あるいは「じぶん」をかたちづくる核心のようなものが生まれやすいのではないか。
そんなふうに、ぼくは思う。
そんなことを思い、考えていたころに、香港の大衆食堂で雲呑麺を食べていたら、あの、「旅の仕方」と「生きる仕方」が重なって現れるような感覚が、ぼくのなかで湧き上がってきた。