「生きづらさ」ということは、ぼく自身の「生の探究」ともいうべきものの原点でもある。日本社会のなかで感じてきた「生きづらさ」をバネにしながら、1994年から開始する<旅>を起点にして、<ほんとうに歓びに充ちた生>の方向性へ舵をきってきた、というのが、これまでのぼくの生のダイジェスト(一行ダイジェスト)である。
その「生きづらさ」を著書タイトルにのせた『生きづらさについて考える』(毎日新聞出版)の著者、思想家であり武道家である内田樹は、週刊金曜日によるインタビューのなかで、つぎのように応えている。
2016年暮れに、米問題外交評議会発行の『フォーリン・アフェアーズ』が、「日本の大学」特集をしたときに、いまの大学に対してどう思うかを、日本の教員や学生にインタビューしていました。すると、「身動きできない」(trapped)「息苦しい」(suffocating)「釘付けにされている」(stuck)というような、「身体的」な印象を共通してみんなが語っていた。
僕は制度の問題より、そういう「身体的」な印象を語った言語のほうが、今の日本社会の実相をよく現していると思うのです。
「生きづらい」とみんなが思っているのは文字通り、「身体的」につらいということなのです。
若い人たちが特に感じているのは「未来が閉じられている」という実感ではないでしょうか。自分が動ける可動域がどんどん制限されていく、職業であっても、居住地であっても、生き方の自由度が下がってきている。…内田樹「週刊金曜日インタビュー」、ウェブサイト『内田樹の研究室』
ぼくには「とてもよくわかる」ことばである。ぼくが1990年代に感覚していた「生きづらさ」は、やはり「身体的」に感じられたものだった。そのことは、あとになって振り返るなかで「ことば化」されたのだけれど、アジアやニュージーランドへの旅はぼくの身体をひらいてゆく契機となった。
「閉塞感を感じる」。昨年会って話をしていた日本の友人がいまの日本社会について静かに語ったのを思い出す。「閉塞」ということも、『フォーリン・アフェアーズ』のインタビューでみんなが共通して語っていた「身体的」な印象、身動きができない、息苦しい、釘付けにされている、と同じ感覚を表現している。それは、やはり、身体的な印象である。
ところで、あたりまえのことだけれど、個人と社会はそれぞれが別個にあるわけではない。個人の網の目、個人が関係する仕方が社会である。個人のあり方が社会のあり方をつくり、社会のあり方が個人をつくる。その意味において、社会の実相は個人の生きかたや内面に反映され、逆もしかりである。
「社会を変える」には、「じぶんの変容」がなによりも出発点であり、方法論でもある。社会は「…あるべきだ」、ひとは「…あるべきだ」という仕方で、じぶんの外部を変えてゆこうとするのではなく、まずは、「じぶん」の生きかたや内面に光をあててゆく。そこに「閉塞の窓」をうがち、変容をうながしてゆく。そのような生のプロセスを、世界いっぱいにひろげてゆく。じぶんの「生きづらさ」、変容にさらしてゆく。
なお、「じぶん」という存在はそれ自体、<ひとつの共生社会>である。ぼくたちの「意識」は絶えず「わたしはわたし」と言い張ろうとするけれど、この身体も、それからパーソナリティ(意識/無意識)も、きわめて多様性に満ちた<共生社会>である。その共生社会の閉塞性、身体的な閉塞感を解き放つ。そこにぼくは、「閉じられた未来」ではなく、「ひらかれた未来」の可能性を見ています。