西野亮廣著『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』。- 時代に垂直に立ちながら、<鳴らすファンファーレ>。 / by Jun Nakajima

「無料公開を批判する人間に未来はない」。

職業としての「芸人」という枠におさまらず、生き方としての<芸人>へと生をひらいてきた西野亮廣が、ビジネス書として世に放つ2冊目の著書『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』(幻冬舎)の一節(一説)の冒頭に置かれた言葉である。

この著作を読みながら、この言葉を見ながら、ぼくの中で浮かんだ言葉は、こんな言葉だ。

『革命のファンファーレ』(西野亮廣)に感覚として納得いかない人たちに未来はない。

著作の内容すべてが「正しい」とかいうことではなく、この著作に感覚として納得いかない人たちは、(そのままでは)<未来>をひらいてゆくことはできないのではないか、ということ。

時間的な「未来」はそれでも、一応はやってはくるけれど。

 

本書は、西野亮廣がブログで書くように、西野の<活動のベストアルバム>となっている。

活動のアルバムでは、「行動にいたる道筋」が語られ、「行動のプロセス」が語られ、「行動の結果と学び」が語られる。

前著『魔法のコンパス~道なき道の歩き方~』で語られたことも「おさらい」として触れられている。

「おさらい」だけれど、その語り口と言葉の鋭さがさらに増したように、ぼくには見える。

絵本『えんとつ町のプペル』のこと、クラウドファンディングのこと、無料公開のこと、著作『魔法のコンパス』のこと、「しるし書店」のこと、「おとぎ出版」のこと、さらには本書『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』そのもののことまで、<活動のベストアルバム>はあますことなく、活動(行動)の「全貌」を伝えている。

副題にある「現代のお金と広告」という視点を軸として語るけれど、西野亮廣の生き方のように、それはその「枠」におさまりきらないひろがりをもっている。

 

西野亮廣の<芸人>としての生き方は、とてもストレートだ。

<時代に垂直に立つ>ことで、疑問をもち、よく考え、行動に確実におとしてゆく。

考え方も、とてもストレートだ。。

 

 モノを売るということは、人の動きを読むということだ。
 現代でモノを売るなら、当然、現代人の動きを読まなければならない。

  ・どこで寝泊まりしているか?
  ・何にお金を使っているか?
  ・1日のスケジュールはどうなっているか?
  ・1日に何時間スマホを見ているか?
  ・どこでスマホを見ているか?
  ・スマホを使う際、親指はどの方向に動かしているか?目はどの方向に動かしているか?

西野亮廣『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』幻冬舎

 

「買う人」の靴に足を入れてみて考えるということ、でも人が時に忘れてしまうことを、ストレートに考えている。

ストレートでありながら、「スマホを使う際の指の使い方」に至るまで考え抜いていくように思考はひろがり、また思考は深く降りていく。

その思考と行動を支えるのは、例えば、次のような「意思」である。

 

 感情に支配されず、常識に支配されず、時代の変化を冷静に見極め、受け止め、常に半歩だけ先回りをすることが大切だ。
 船底に穴が空き、沈んでいく船の、“まだマシな部屋”を探してはいけない。…

西野亮廣『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』幻冬舎

 

<時代に垂直に立つ>ために、西野亮廣は「三重の戦略」を立てている。

第一に、西野本人が本書で明記しているように、「環境」をつくること。

自分の仕事を守るために「嘘をつかざるをえない環境」にいることが問題となりうることから、「嘘をつかなくても良い環境」をつくることである。

本書では、テレビを収入源にしているタレントに触れて、テレビ以外の収入が安定していないと意見しづらいことを例として挙げていたりする。

西野は、このことを、「意思決定の舵は『脳』ではなく、『環境』が握っている」と言葉にしている。

本書の副題にある「お金と広告」は、この「環境」をつくるための手段でもある。

 

第二に、行動により体験として積み上げること。

行動を通した言葉には説得力がついてくる。

例えば、本書で「広告戦略」を語る西野亮廣は、絵本『えんとつ町のプペル』の発売から一年間、「サイン本」の発送のために朝4時に起きて、サインをして郵送することを、毎日行ってきたこと(その数2万冊のサイン本の手作業発送)を、「語ること」の土台としていることを、本書の最後に述べている。

 

第三に、行動による「結果」を出してゆくこと。

「常識」にしばられる人たちを解き放つのは、常識を超える「結果」だ。

そのことを充分に認識しながら、「結果」をきっちりと出すことにたいして、気持ちも行動も徹底している。

常識に「屈しないだけの裏付けを持て」と、西野は言葉を紡ぐ。

 

このように戦略(そして戦術)をうちながら<時代に垂直に立つ>西野亮廣は、「常識」を疑い、考え、「行動(とその実績)」を武器に、「未来」をきりひらいている。

時代の大きな変わり目の「ギャップ」の間で、「未来」に足を踏み込みながら、踏み込もうとしている人たちへの橋渡しもしている。

社会学の理論には、文化は社会構造に遅れるというものがあり、それは「価値観の遅滞」(見田宗介)とも言うことができる。

つまり、「価値観の遅滞」の現代の中で、西野亮廣の活動・行動は、新たな社会構造をつくってゆく推進力でありながら、価値観の遅滞とのギャップを埋める役割を果たしているのだ。

 

さらに「常に半歩だけ」という西野の考えと行動は、意識しているか否かにかかわらず、さらに先の「未来」にもつながる線をもっている。

例えば、冒頭にかかげた言葉に関わるトピック。

「インターネットが何を生んで、何を破壊したか」と自身に問いかけながら、西野亮廣は「インターネットによる物理的制約の破壊による『あるとあらゆるものの無料化』」を見ている。

そこに至る思考の経路として、「土地と土地代」のことを挙げ、土地に土地代が発生する「理由」を考察している。

 

 それは、土地に“限り”があるからだ。
 地球の土地にも“限り”があり、交通の便が良い都市部の土地にも“限り”がある。
 土地には“限り”があり、限りのある土地に対して人が溢れてしまっているので、結果、僕らは土地を奪い合うことになる。
 その瞬間に「お金」が発生する。
 …奪い合いがなければ、お金は発生しようがない。
 そんな無限の土地があるだろうか?
 ある。インターネットの世界だ。…

西野亮廣『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』幻冬舎

 

「お金」はそれ自体、「無限」を創出するものだ。

しかし、その極地としての現代社会は、その旅路の果てに、「環境・エネルギー資源」という“限り”に直面している。

その“限り”を乗り越えてゆく方向のひとつは、人間が<無限>にひらいていゆくことのできる「情報空間」であるインターネットの世界だ。

西野亮廣の思考と行動は、「環境・エネルギー資源」という地球の物理的制約を超えて、人間の想像力や楽しさの「情報空間」という<無限の空間>に、生きることの内実を解き放ってゆく可能性をひめているように、ぼくには見える。

 

「行動すること」を中心にそえながら、そこに至る道筋は「常識を疑い考えること」にはじまり、行動は「望む未来に至る方向性」へとひっぱる重力をもっている。

これらを支えているのは、<生き方としての芸人>の生き方であり、「仕事になるまで遊べ」(西野亮廣)という生き方のスタイルである。

「あとがき」において、「キミの革命のファンファーレを鳴らすのは、キミしかいない」と、西野は語りかける。

「革命」は、これまでの歴史が語るような「革命」ではなく、まずは「キミの革命」である。

自分の人生の革命である。

「革命のファンファーレ」は聞くもののではなく、<鳴らす>ものとして書かれている。

革命のファンファーレを鳴らす「キミ」が世界のいたるところに出現することで、<交響するファンファーレ>の音が聞こえ、「新たな未来」への流れをつくってゆく。

 

西野亮廣は、今もこうしているときに「次の行動」を起こしている。

考えて、それを必ず行動に落とす。

サッカーの試合で、ひとつのプレーの流れにおいて、「最後は(ゴールに向けて)シュートで終わろう」とでもいうように。

 

僕はまもなくこの本を書き終える。
そして直後に、次の行動を起こす。
キミはまもなくこの本を読み終える。
さあ、何をする?

西野亮廣『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』幻冬舎


さあ、何をする?

じぶんの革命のファンファーレを<鳴らす>ために。