西野亮廣著『革命のファンファーレ』(幻冬舎)を読みながら、<生き方としての芸人>を生きる西野の生き方と、そこに「可能性」を見る人たちについて考えている中で、次の言葉がぼくの中に湧き上がってきた。
<生き方の魅力性>によって解き放つこと。
社会学者である真木悠介の言葉だ。
真木悠介は、演出家・竹内敏晴の著作『ことばが劈かれるとき』(ちくま文庫)の「解説」として、「人間は変わることができるか」というこの本をつらぬく主題をとりだして、文章を書いている。
竹内敏晴の本書の初版は1975年で、文庫本の「解説」は1988年に掲載された。
人間は変わることができるか、人間はどこから変われるか。
1990年代から2000年代前半にかかる大学時代に、ぼくはこの主題にとりつかれるように、アジアを旅し、ニュージーランドに住み、徒歩で歩き、そして、真木悠介や竹内敏晴の本に向き合ってきた。
真木悠介が「解説」で述べているように、竹内のこの本は、変わることに向かう方法の「具体性」を提示している。
ぼくは当時、その「具体性」のある実質的な方法を、「旅」の中に見出そうとしていた。
そのような中で、真木悠介の言葉は、ぼくの中に「翼と根」として存在することになる。
真木悠介は、「人間は変わることができるか」という問いにたいして、1970年代に「つかんでいたこと」を次のように書いている。
…そのころまでに、わたしたちのつかんでいた方向は、こういうことだった。言葉ではない、暴力ではない、<生き方の魅力性>によって、人びとを解き放つこと、世界を解き放ってゆくのだということだった。
見田宗介『定本 見田宗介著作集X』岩波書店
<生き方の魅力性>で、人びとや世界を解き放ってゆくこと。
概念(言葉)はいつだって行動に遅れると、見田宗介(=真木悠介)の生徒であった社会学者・大澤真幸は言う。
身体で感じていたものに言葉がすーっと重なってゆく体験だ。
それからというもの、<生き方の魅力性>という言葉が、ぼくの生の方向性を照らし出していくことになる。
「解き放つ」という言葉を、真木悠介=見田宗介は著作の中でよく使う。
見田宗介は、17歳の頃(1950年代半ば)に「解放論」をめざしたときのことを、それから60年ほど経過した後に、ある小論(「走れメロスー思考の方法論について」『現代思想』2016年9月号)の中で書いている。
だれでも17歳の頃に人生の目的や方向性について思い悩む時期に、見田も、仕事や勉強を「何のためにするのか」という究極の目的や方向性についてイメージを描いては消して、描いては消してを繰り返す中で、二つの「候補」が残ったという。
第1候補:「人類の幸福」
第2候補:「世界の革命」
ただし、これらは双方とも、候補から抜け落ちてしまう。
理由は次のことだったという。
第1候補「人類の幸福」:「幸福」という言葉の「ぬくぬく感」に違和感、パンチ力に欠けること
第2候補「世界の革命」:「やるぞ!」感はあるが、「革命」という言葉の政治的なニュアンスが好きでなかったこと
そして、二日目に、突如、言葉がまいおりる。
それは、「人間の解放」であったという。
見田宗介は、これから60年生きるとしても、ここに変わりはないと書いている。
その「人間の解放」という目的と方向性にたいして、1970年代、30代の見田宗介は、<生き方の魅力性>を方法の方向性として見定めるところに来ていた。
それから40年ほどがすぎ、「革命のファンファーレを鳴らそう」と、芸人であり作家の西野亮廣はよびかける。
「革命」という言葉は、20世紀までの歴史における革命や政治的な色彩は感じられず(芸人であり、絵本作家であり、「おとぎ町」主催の西野亮廣のイメージもある)、共同体が解体され、個人主義の貫徹してゆく社会の「個人の生き方」に向けられている。
そこでは、「革命」は、ゲーム的な世界における、楽しさの衣をまとったものとして現れている。
「よびかけ」は、クラウドファンディングであり、著作であり、ツイッターでありと、現代の「情報メディア」が駆使されている。
これらの仕組みや情報メディアは、個人たちがテクノロジーでつくりだす<共同体>だ。
活動や行動、それから未来へとひっぱる重力は、そのコアに<生き方の魅力性>を宿している。
西野亮廣が「芸人」という定義にもこだわることのひとつは、それは「職業」ではなく<生き方>であり、その<生き方の魅力性>に生がかけられているからだと、ぼくは思う。
見田宗介は、上述の小論で、「人間の幸福」や「世界の革命」などについて、「今時こんなことを考える人はいないと思うが…」、と綴っている。
そのようなことを直接的に、直球で考える人たちは昔に比べてすくないかもしれないけれど、人びとや世界を解き放つことにおいて、<生き方の魅力性>を方向性として定めて生を生ききる人たちがいる。