近年では、スティーブ・ジョブズの伝記を書いたことで名を知られるようになった作家のWalter Isaacson(ウォルター・アイザックソン)。
ヘンリー・キッシンジャー、ベンジャミン・フランクリン、アインシュタイン、スティーブ・ジョブズといった伝記に続き、ウォルターは新しい作品であるレオナルド・ダ・ヴィンチの伝記『Leonardo Da Vinci』を世に放った。
これまでの伝記と同じように、英語版で600頁を超えるような大作である。
この本の刊行と時を同じくして、ウォルターは、Tim Ferrissのポッドキャスト「The Tim Ferriss Show」のインタビューを受けている。
このインタビューの中で、ベンジャミン・フランクリンとレオナルド・ダ・ヴィンチの「共通点」として、ぼくたちがレッスンとして学ぶことができることを、ウォルターは次のように述べている。
「…interested in everything」
Tim Ferriss「Lessons from Steve Jobs, Leonardo da Vinci and Ben Franklin」, Podcast『The Tim Ferriss Show』
すべてのことに関心をもつこと、つまり「好奇心」を、ウォルターは挙げている。
レオナルド・ダ・ヴィンチの多才さはよく知られているところだけれど、彼は、毎朝起きると、その日の「知りたいこと」をリストとしてノートに書いていたという。
ウォルター・アイザックソン自身も「好奇心」をそのコアにもつ人であるけれど、ベンジャミン・フランクリンやレオナルド・ダ・ヴィンチの影響を受けて、ウォルターは、さらに「好奇心と観察眼」で、物事を見るようになったと語っている。
それは、例えば、外を歩いていて青空を見て立ち止まる。
青空を観察しながら、なぜ空は青いのかを考えるようなことだという。
「好奇心」ということは、作家の中谷彰宏の言葉を思い出させる。
中谷彰宏は、著書『成功する人は、教わり方が違う』(河出書房新社)の中で、「好奇心」に触れて、次のように言っている。
一流は、好奇心を持つ。
二流は、興味を持つ。
中谷彰宏『成功する人は、教わり方が違う』河出書房新社
続けて、言葉の定義について、次のように語っている。
「興味」とは、「好きなものが、好きなこと」です。
「好奇心」とは、「好きでないことでも、好きなこと」です。
…「好きじゃないものは、やりたくない」と言う人は、たいてい履歴書の自己紹介欄に「好奇心が強い」と書いてあります。
それは間違いです。
好きでないことを「なんだろう、これ?」と見続けられるのが好奇心です。
好奇心によって、その人の幅は広がります。
中谷彰宏『成功する人は、教わり方が違う』河出書房新社
そのようにして、「幅」を広げ続けて、クリエイティビティがスパークしたのが、ベンジャミン・フランクリンであり、レオナルド・ダ・ヴィンチである。
Tim Ferrissは、上述のインタビューで、ウォルター・アイザックソンの仕事の幅(大学教授、ジャーナリストなど)に着目し、なぜ伝記を書くのかということを尋ねる。
ウォルターの応答は「connecting us people」、人びとをつなげることだと言う。
伝記のナラティブは人びとをつなげてゆくものであること。
その語りを聞きながら、「好奇心」と「興味」ということの違いを考える。
「興味」は、「好きなこと」という枠で、人びとをつなげる一方で、枠の内と外の境界で人びとを引きはなす。
「好奇心」は、枠の内か外からにかかわらず、すべてのことに関心を注ぎながら知ろうとすることで、人びとをつなげる。
人びとをつなげてゆくものとしての「好奇心」というところに、ベンジャミン・フランクリンとレオナルド・ダ・ヴィンチ、そしてウォルター・アイザックソンの共通点と、ぼくたちが学ぶレッスンがある。
道端に咲く花たちを見て、ぼくは立ち止まり、「花」ということを考えざるを得ない。
「花」というものは、生きるということの根幹を語っている。
ぼくは、「花」にひきつけられてゆく。