ぼくたちの生の時間が有限であること。
このことの認識と深い実感が、ぼくたちの生き方を変えてゆくことがある。
しかし、生の時間が有限であるということを、頭で理解するのではなく「ほんとうに実感する」ということは、それほどシンプルにはいかない。
人は、「誰もがいつかは死ぬこと」を知っているけれど、ときに、そのことを深く感じない。
人は、「人生の時間には限りがあること」を知っているけれど、ときに、そのことを深く感じない。
スティーブ・ジョブズが、今日が生きる最後の日であるなら何をするかを問おうと呼びかけても、頭ではわかりながら、心(気持ち)とお腹(行動)に落としていくことは、まるで「次元」が異なるように思われる。
ニュースなどで余命が少ない人たちの生きる物語りを聞いても、頭(また心)ではわかりながら、「時間の有限性」はじぶんの物語として組み込まれていかない。
近代は時間や空間や価値の「無限という病」にとりつかれた時代だと、社会学者の見田宗介が語っているけれど、個人という生においても「無限の病」にとりつかれるようなところがある。
日々はとても忙しいのだけれど、それでもその忙しい時間はどこまでも続いてゆくように感じられる。
その日や週や年といった視野においては時間は極度に有限であると感じられるけれど、日・週・年といった視野の先の時間は「無限に近いもの」として、あるいは有限でも無限でもない不明瞭なものとしての無限性として感じられるのだ。
まるで近代における「無限という病」が個人に憑依しているかのようである。
近代・現代世界は「無限」という磁場を、社会にはりめぐらしている。
また、あるいは、個人の生(また人類)における時間の有限性を「見ないことにしている」とも言える。
なぜ人は時間の有限性を深いところで実感できないのだろうという問いは、それだけでも話の尽きることのない問いだ。
その問いをひとまず置くとしても、時間の有限性を直視して、頭で理解するだけでなく心で感じ、お腹にまで落として行動につながるような<生きることの拠点>を創ることは、人が変わるということの契機のひとつとなるものである。
「時間の有限性」は、それが真実でありながら、充溢した生を生きるための<方法>として、ぼくたちが取り出すことのできるものである。
そのためには、(多くの個人の生の物語りが語るような)生死を分けるような極端な経験をする必要は必ずしもない。
しかし、その<生きることの拠点>をつくること自体が、その人の生の物語(の一部)である。
ぼく個人のことで言えば、「時間の有限性」に向き合ってきたぼくの「物語」は、20年以上にわたる物語である。
見田宗介は、1980年代半ばの論壇時評で、植島啓司の「サマルカンドの死神」という報告(『へるめす』別巻シンポジウム)における、次のような「伝説」を取り上げて、そこに大切なものを見ている。
ある兵士が市場で死神と会ったので、できるだけ遠く、サマルカンドまで逃げてゆくために王様の一番早い馬をほしいという。王様が王宮に死神を呼びつけて、時分の大切な部下をおどかしたことをなじると、死神は「あんなところで兵士と会うなんて、わたしもびっくりしたのです。あの兵士とは明日以降にサマルカンドで会う予定ですから」という。
わたしたちはどの方向に走っても、サマルカンドに向かっているのだ。わたしたちにできることは、サマルカンドに向かう旅路の、ひとつひとつの峰や谷、集落や市場のうちに永遠を生きることだけだ。
見田宗介『白いお城と花咲く野原』朝日新聞社
ぼくたちは、どの方向に走っても、サマルカンドに向かっている。
ぼくたちは誰もが「サマルカンド」をもっている。
でも、「サマルカンド」をもつことは、ぼくたちの生を空虚にはしない。
ぼくたちの生を空虚にしてしまうのは、あるいはぼくたちの生を祝福するのも、ぼくたちがサマルカンドに向かう旅路への「旅の仕方」次第であることを、上述の引用の最後の文章で、見田宗介は教えてくれている。
ぼくたちに「できること」は、旅路の、ひとつひとつの峰や谷、集落や市場のうちに永遠を生きることである。
時間の有限性である生の中に、永遠ともいえる無限性を生きることができるところに、生の充溢がある。