「多様性」ということが、言われる。
例えば、組織作りでは、組織の内部に多様性をつくりあげてゆくということが言われる。
近代から現代にかけて世界を推進してきた「合理化」の企てが社会の全域に貫徹したところで、抑え込まれていた力が声を挙げ、合理化の推進役であった企業組織はその背景に押される形で、「多様性」を組織の中にとりこむ必要性に直面する。
そのことは、近代家父長制システムの解体と共に連動している。
近代を駆動してきた合理化の力は、共同体を解体してきた末に、近代家父長制にもその力を伸ばし、最後に「個人」にまで行き着く。
個人とは英語で「in-dividual」と言われるように、これ以上分けることのできない単位である。
個人に行き着いたところで、個人たちはテクノロジーを得て、テクノロジーや情報によりつくられる空間に、新たな「共同体」をさまざまに創設していく。
このような現代から次の時代に向かう中で、「多様性」は必然のものとして立ち上がってきた。
社会や組織において「多様性を持とう」という掛け声の正しさにかかわらず、その手前のところで、個人として「多様性をもって生きる」ということに関心を注ぎ、実際に生きてゆくことが大切であると、ぼくは考えている。
「多様性を持とう」ということの芯のひとつは、「差異」を受け入れていくこということである。
同質性(それも特定の同質性)だけでなく、「差異」にひらかれてゆくマインドをもつことである。
そのようなマインドを持つことを「心がけること」は方法の一つである。
しかし、ぼくは、心がけることと共に(あるいはそれ以上に)、「差異」を生きることで、自分の中に描かれる「世界像」に差異を取り込んでゆくことが肝要だと思う。
個人として、多様性を生きて、多様性に豊饒化された「内面」をもつことである。
「多様性を生きる」とは、具体的には、いろいろな人たちに会ったり、いろいろな人たちと過ごしたり、いろいろな「立場」で生きてみたり、いろいろな場所で過ごしてみたり、ということである。
ぼく個人を振り返ってみても、随分と、「いろいろ」を生きてきたなぁと、思い返すことができる。
アルバイトでは、レストラン、レストラン&バー、デパート、工場など、いろいろな人たちに出会って、一緒に働いた。
先進国の人たち、途上国の人たち、難民の人たち、いろいろな国や人種の人たちなどに出会い、関わってきた。
仕事も、NPOの仕事から民間企業の仕事でいろいろな人たちと仕事をし、公的機関の人たちともプロジェクトを共にしてきた。
戦争・内戦や紛争を生き抜いてきた人たち、心や身体に傷を負ってきた人たち、都市生活の「豊かさ」の中で悩む人たち、都市の先進性に生きる人たち、伝統的な社会に生きる人たちと一緒に活動をしてきた。
会社員として働く人たち、経営者として働く人たち、起業した人たち、仕事が見つからない人たち、仕事先さえない人たち、などなど。
実に、「いろいろ」を生きてきたことを思い出す。
気をつけることは、人や場所などに「ラベルを貼ること」(カテゴリー化してしまうこと)の危険性を念頭に、「個人と個人」として出会ってゆくことである。
ただし、「個人」は、ただ単体として自立的に存在するのではなく、社会や立場や環境や置かれる状況等に「創られる」存在でもある。
これら「いろいろ」が、ぼくの内面に創られる「世界像」を構成し、その「世界」を豊かにしていく。
でも、「豊か」であるということは、問題が起きないわけではないし、むしろ「矛盾」をいたるところにつくっていく。
だから、いろいろな人たちの立場や状況を想像することで、よく悩むことにもなるし、一様に決断できないときもあるし、矛盾を生きていくことになる。
矛盾はしかし、「何か」を生んでいく力の源泉となると、ぼくは思う。
同じように、社会や組織に「多様性をつくる」ことで、多様性による豊かさを生むと共に、問題点や矛盾に、ぼくたちは投げ込まれる。
心やマインドをひらくだけでなく、これらの問題や矛盾をよりよいものに変えていく意志と楽しむ力が求められる。
そのためにも、「多様性を持とう」の掛け声の手前のところで、ぼくたちが個人として「多様性を生きる」ことで、自分の経験の多様性を自分の内面の土壌に植えることが大切である。
経験の多様性を植えられた内面の土壌に水を与え続けることで、実際の「世界」で、たくさんの<豊かさ>を創出してゆくだろうと、ぼくは思う。