香港で、「吉野家」をつうじて<香港>をかんがえる。- ビジネス、メニュー、それから「紅ショウガと生卵」のゆくえ。 / by Jun Nakajima


ここ香港では、「吉野家」はすでに庶民の食文化に根ざしている。

香港のどこにもあり、それから、どこに行っても人であふれている。

香港に吉野家が登場したのは1991年というから、すでに25年の月日が流れている。

なお、北京に吉野家ができたのは1992年で、ぼくは1994年に、北京への旅のなかで吉野家に訪れたことを覚えている。

10年ほど前にぼくが香港に移り住んだときにも吉野家は健在であったけれど、それ以降も、吉野家は試行錯誤のなか、香港でビジネスを展開し、食を提供している。

 

「うまい、やすい、はやい」という吉野家文化は、香港では、日本ではなかなか想像のつきにくい仕方で運営されている。

あくまでも「基礎編」的な内容ではあるけれど、そこに見える<香港的なるもの>を捉えることを目的として、書いておきたいと思う。

 

(1)ビジネスについて

ビジネスについては、その運営のされ方に、日本とは異なる特徴がある。

第一に、一日が「4区分」されている。

・ モーニング
・ ランチ
・ ティー
・ ディナー

それぞれでメニュー(あるいはセット)が若干かわり、何よりも「値段」がおどろくほどに変わる。

香港の大衆食堂的な店舗では、この形式は「普通」のことであるけれど、吉野家もその形式に順応している。

値段が安くなるティータイムなどの設定により、一日中、人が絶えないことになる。

この「人を絶えさせない」ビジネスに、香港の特徴がある。

 

第二に、上述のように、「値段」の設定である。

ティータイムの値段設定に見られるように、柔軟に展開される。

ティータイムだけでなく、他の庶民食堂のように「学生料金」も設定されている。

もちろん、より「やすい」値段での提供であり、学生への「応援歌」だ。

背景には、香港の多様性と階層的な社会構造があるのではないかと、ぼくは見ている。

 

第三に、店内の構造は、日本のような「カウンター形式」ではなく、他のファーストフード店のような仕組みである。

まずはレジでオーダーしてお金を払う。

そのやりとりの最中に、マイクを通じて、オーダーが伝えられる(オーダーはもちろん印字される紙でも伝わるけれど、それでは例えばスピードが落ちてしまうのだろう)。

引換券を手に待つことになるが、そこからは、「香港 x 吉野家」の「はやい文化」の掛け算で、即座に用意されることになる。

 

(2)メニューについて

第一に、メニューの多様性・柔軟性は圧倒的で、試行錯誤がつづき、さまざまなメニューにあふれる。

うどんがあったり、うどんやインスタント麺(出前一丁)の上に牛肉がのるメニューもある。

牛丼だけでなく、鶏肉や豚肉の丼ぶりがあり、からあげもある。

日本の吉野家のように、カレーもあれば、うなぎもある。

オーソドックスだけでなく、香港ならではで、チーズやトマトが牛丼にトッピングとしてのるものもある。

「飲み物」の選択は、日本茶、味噌汁、コーラ、コーヒー、ミルクティーなどと続く。

 

第二に、メニューの多様性・柔軟性は、上述の「4区分」の時間帯で、異なってくる。

モーニングセットには、西洋風のメニュー(スクランブルエッグやパンなど)も加わる。

特徴的なのはディナーの時間帯で、一人前用の「ホットポット(鍋)」で、吉野家の店内が鍋屋のようになる。

香港の庶民食堂文化が、融合される。

「文化の受容性」は香港のひとつの特徴だけれど、吉野家は<香港なるもの>を、ビジネスやメニューにどんどんと受容している。

 

(3)「紅ショウガと生卵」のゆくえ

やはり、気になるのは、「紅ショウガと生卵」のゆくえである。

牛丼には欠かせない食材だ。

香港的な環境のなかで、これら二つは次のような変化をとげる。

● 紅ショウガ → ガリ(小分けされた「しょうがの甘酢漬け」)

● 生卵 → 温泉卵

紅ショウガが香港の日本食で提供されていないわけではない(豚骨ラーメン店にはある)が、吉野家は薄黄色のガリを小分けで提供している。

ただし、席におかれているのではなく、「しょうがをください」と受け取りカウンターで頼まないといけない。

初めて香港の吉野家に来た人たちは、しょうががあることなんて、まったくわからない。

だから、ぼくはいつも、頼むことになるのだ。

時と場によっては、受け取りカウンターにおかれていたこともあったけれど、今ではぼくの知る限り、しょうがは、キッチンの見えないところに配備されている。

 

それから、問題は「生卵」だ。

生卵を食べることができる地域は、日本を含め、世界でも限られている。

そこで「編み出された方法」が、「温泉卵」であった。

半熟の温泉卵だから、卵のとろみがあり、生卵の代わりとなる。

香港に来た10年前には、その温泉卵でさえなく、また温泉卵が出た当初はそれほど食されていなかったようだ。

牛丼と温泉卵の組み合わせに、とまどう人たちも多かったのではないかと思う。

今では、香港の人たちもオーダーしている風景を目にする。

 

このように、香港の吉野家は、日本の吉野家からは想像のつきにくい仕方で店舗が運営され、食が提供されている。

<香港的なるもの>が吉野家のさまざまなところに浸透しているのだけれど、「うまい、やすい、はやい」という吉野家文化の中心は維持されている。

なにはともあれ、香港に住む人たちの食堂のような存在となっている。